2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
『主日にショッピングしても良いの?』牧師コーナー(73)
イザヤ58:13-14
「もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を「喜びの日」と呼び、主の聖日を「栄えある日」と呼び、これを尊んで、自分の道を行かず、自分の好むことを求めず、無駄口を慎むなら、そのとき、あなたは主をあなたの喜びにする。わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、あなたの父ヤコブのゆずりの地であなたを養う。――主の御口がそう語られる。」
私が幼い頃クリスチャンの間で日曜日に買い物をしたり、遊園地に遊びに行ったりすることは霊的にタブー視されていました。それは宗教改革の立役者の一人ヨハン・カルビンを始め西洋の清教徒たちがイザヤ58章をベースに安息日(今日の説教を聴くと主日との関連が分かります)には“自分が好むこと”(娯楽)をしないことが望ましいと捉えていたからだと言われます。19世紀後半からアジアの教会にはこの清教徒たちの影響が広まった傾向があります。しかし、反対に、プロテスタントの中には、このイザヤ58章の“自分が好む”ことは娯楽ではなく安息日に商売をして利益を得ようとする行為だと解釈する人々も多くいます。この解釈では、日曜日にも体を休ませるために娯楽を楽しんでも良いと主張していると言うことです。
歴史的にこんな面白いエピソードがあります。イギリスの牧師ジョン・ノックス(John Knox)がヨハン・カルビン(John Calvin)を日曜日に訪問した時にカルビンが芝生でボールを転がすボーリングをやっているのを見てびっくりしたと言う話があります。(RC Sproul引用)もし、これが本当ならば、カルビンはスポーツをやることが安息日を破る行為ではないと見たわけです。しかし、重要なポイントはカルビンの安息日に関する説教(申命記5章)で、神を礼拝することを妨げる娯楽は第四の戒めに反することだと語ります。
21世紀のクリスチャンたちが日曜日に買い物をすることを良心的に気にする人たちは少ないでしょう。でも、イザヤ58章を今日適用させるなら、重要な点は、神を“喜ぶ日”にショッピングに行くことや、遊ぶことで頭が夢中になるのであれば、それは主日を尊んでいないと言うことです。21世紀に主日を守るとは、“これはやっても良くて、あれはやってはだめ”と言うような律法主義的なものではありません。むしろ、主日は主の恵みを思い巡らし主にあって本当の安息を得る日のことです。私たちの教会が主の聖日に主を純粋に喜ぶことの出来る教会になることを切に祈ります。