2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
『牧師と信徒の間にある葛藤の理由』牧師コーナー(75)
旧約聖書民数記22章を見るとお金目当てに預言者をしていたバラムと言う人物がいました。そして、Ⅰサムエル記2章を見ると祭司のエリの息子たちの性的堕落した内容が記録されています。21世紀になっても教会で教職として仕えるスタッフがお金や異性問題でスキャンダルを起こすニュースは絶えないことです。そのようなスキャンダルは厳しく責任が問われる必要があります。しかし、これらとは違ってどんな教会にもある問題があります。それは、牧師と信徒の間にある葛藤です。そもそも何で牧師と信徒の間に葛藤が生まれるのか。私が今いる教会と過去にいた教会と合わせて見る実例は以下のようになります。
- 牧師が温かく挨拶をしてくれなかった。
- 牧師が私の名前を何度も間違えた。
- 牧師は期待していたほどの人格の持ち主ではなかった。
- 牧師の説教(神学)に同意しない部分があった。
- 牧師が説教を通して私の罪を責めて来たと思った。
- 牧師が私のソーシャルワークにそれほど関心を持ってくれなかった。
- 私が牧師にプレゼントした本を牧師が読んで教会に導入してくれなかった。
- 牧師は私が好きな奉仕をさせてくれなかった。(例:会計、賛美チームなど)
- 牧師が主日学校(子どもの信仰教育)にそれほど力を注いでなかった。
- 牧師は罪を犯す信徒をすぐに注意し戒めなかった。
- 牧師は罪を犯す信徒を叱責した。 “信じられない!”
- 牧師の罪を指摘したら牧師と距離感が出来た。
これ以外にもあと10個は言えますが、私が語ろうとするポイントは一つです。牧師と信徒との間にはちょっとしたことで葛藤が生じえます。ある牧師が言いました、“説教をこう語っても信徒が傷つくだろうし、だから柔らかく語るとそれを嫌いな信徒がいる。もう私は沈黙するしかない!” 私が皆さんに知って欲しいのは、牧師の立場の難しさです。ヒューストンで長年牧会したチェ牧師が言いました。 “私は信徒たちとスポーツはやりません。なぜか?それは信徒にスポーツで勝ったら、‘なに、この負けず嫌いな牧師は!’と思われ、負けても、‘なに、この運動神経のない牧師は!’と馬鹿にされるから”だと言っていました。 牧師の立場は出来ても批判、出来なくても批判される場合が多くあるからです。ファッションがダサくても批判、流行りの物を身に着けていても世俗的だと言われるのが牧師です。私の皆さんへのリクエストは2つです。1)牧師がいつも霊的にスーパーマン状態ではないことを覚え祈って支えて下さい。2)牧師と信徒たちが常に互いを尊重し愛し合えるように祈って下さい。
チョ・ドリュー師