2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
『主の思いに応えられた2020年だったでしょうか?』牧師コーナー(84)
私たちは2020年1月に年間標語 「イエス様、私の中心になってください!」(コロサイ1:16)と掲げてきました。あと数日で終わるこの一年間、私たちはどのように主のみこころを実践することができたでしょうか?
コロナウイルスの問題から2~3月以降、私は、コロサイ1:16にある「…天と地にあるすべてのものは、…御子にあって造られたからです。…」という主のみことばの、“すべてを支配しておられる”ことについて大きな課題を提示されたと思いました。それは“すべてを支配されておられる主は、私たちに何を期待しておられるのか?”という課題です。2020年は信仰のふるいにかけられた年だったと思います。自分の弱さに気が付くことがあったり、逆に主の大きな恵みの計画に気が付くことがあったことを思い出すからです。
3月以前からインターネットによる礼拝は配信していましたが、元々は特別な事情の方向けに配信していたので、本格的に礼拝をささげる場合には推奨されるものではありませんでした。この方向性を変えなくてはならない状況下になり、インターネットの環境が整っていない方々には不便さを感じたことだと思います。しかし、それを支える信徒が起こされたり、インターネットの環境を整えてしっかりと礼拝をささげる準備をしてくださった信徒もいたりしました。また同時に信仰的な部分でも色々な側面が見いだされることがありました。インターネット礼拝やZOOMによるミーティングにおける、配信・接続の問題、集中力を継続する難しさ、信徒の信仰状態が見えづらいなど、課題は多かったと思います。そのようなことで精一杯だった対応に、忍耐と柔軟な対応をしてくださった信徒の皆さまには本当に感謝しています。
そして、キリストが私自身の中心になっていただろうか?ということを思い起こすと、「主に救われた民として、やるべきことは多いように思えます。どこまで私は主に仕えたらよいのでしょうか?」と祈りながら質問していました。そして、「罪の中にあなたがいたとき、あなたは私から離れていた。しかし、私の十字架によって罪赦され、復活した私はあなたと共にいるではないか。」とエペソ2:13(しかし、かつては遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。)を通してイエス様に言われたように思ったのです。主の十字架は離れている私たちを近くしてくださることを覚え、2021年は主との関係において深い関係になれることを考えていきたいと思います。
吉村恵理也伝道