2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
『教会に何を着て行くべきですか?』牧師コーナー(87)
ジョン・パイパーと言う牧師が始めたDesire God団体の記事を読みますと、40年前のアメリカでは教会礼拝に行く際約80%の男性がスーツとネクタイを身に着け、90%の女性はドレスを着ていたと書かれています。しかし、それが1990年代の30年前になって来るとスーツを着る男性は40%、ドレスを着る女性は50%以下になり始めたと言われます。 今ではスーツを着て行く礼拝は特別行事がある時だけだとも言われます。
詩編29:2には「聖なる装いをして主にひれ伏せ」と言う箇所があります。(聖なる装いとは、神の義を着る霊的服を意味しています。) 創世記41:14では、牢屋にいたヨセフがひげを剃り着替えをしてからファラオの前に出ます。それらの箇所から、過去の私たちには主の前に出る時に‘最高の服’を身に着けるべきだとの言う認識が強くありました。しかし、アメリカでは今ほとんどの教会の牧師がスーツを着なくなったとも言われます。 それは、教会だけでの現象ではなく、世界のビジネス業界でも脱スーツが増えて来ているからだとも言われます。 AppleやFacebookの社長がTシャツで記者会見やプレゼンテーションをする姿を見ると時代が変わって来ていることを感じさせます。 教会文化も時代の流れに沿って変わって来ているのは事実です。
私は個人的に教会でスーツやドレスを着るのは人々に好感を与えることだと思っています。 しかし、それが一つの絶対的条件や文化として根付くのはいろんな背景から教会を訪問するVIPたちに士気を高めることになると思います。 良い服を買う余裕のない人が教会のレギュラーとなった時に、‘ある程度質の良い服を身に着けなければ、ここには居づらい’と考えることがないようにしたいのです。1ペテロ3章でペテロは派手な服を着飾っている女性たちに対して、外面ではなく内面を柔和と穏やかな霊で飾りなさいと言います(3-4節)。5章5節でも謙遜を身に着けるように強調します。ペテロが教える服装は控えめに慎み深くと言うガイドラインでした。心が謙虚な人はそのまま服装にもそれが表れるからです。
教会に着て来る服装は普段着を自由に着て頂いて良いと思います。 ただし、人々をつまづかせることなく、皆の視線を引くこともなく、皆が礼拝に集中出来る格好が良いことだと思います。 それは国と文化によってかなり差があると思います。 私たちは日本にいますから出来るだけこの文化と風潮を考慮しながら行動すべきだと思います。 ただし、教会の服装の基準によって今の時代のVIPたちが入りづらい教会にならないことを願います。 今日のメッセージであるように、教会は絶対的に変わることのない聖書の教えと時代によって変わる人間の伝統を混同しないようにすべきです。 福音を時代に合わせて発信出来るように時々教会の伝統を見直して行くことも必要でしょう。
チョ・ドリュー師