2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
0
『招待のどこが最も惜しまれるだろうか』牧師コーナー(97)
先週のコラムで私が招待教会の主任牧師から退任する経緯を説明したのですが、招待教会に対する思いを上手く伝えられなかったと思います。主任牧師として書く最後のコラムは、“今後他教会で牧師をしていて、いつ招待教会を一番恋しく思うだろうか?”の質問に答える形で書きたいと思います。
①招待は本当に良く祈る教会だ。毎朝6時にある早天祈祷会にほぼ休まず参加する忠実なメンバーたちが多くいること、また、とりなし祈りの献身者が常に50人を超えることで、この教会に提出する祈り課題は誰かによって必ず祈られている確信が持てる。
②招待の草原守や役員たちは夜7時に始まった会議が夜11時半を過ぎても真剣に取り組む信じられないほど高い献身度を持っている。牧師より伝道熱心な信徒リーダーたちが多いのも確かなので、こんな教会にまた巡り会えるのはハードルが高い!
③私の忙しさやコロナで惜しまれた部分だが、招待教会の方々は牧場で鍛えられたおもてなし精神がとても素晴らしい。私たちの家族がこの二年間頂いた美味しいものは数えきれず食事に招いて下さった方々も多かった。全部断っていなかったら私は間違いなく5キロ以上太っていただろう。
④在籍300人ぐらいの教会員がいるにも関わらず教会員の結婚式では喜びを共にし、お葬式では悲しみを共にする家族的雰囲気がある。この規模の教会でも教会員の行事は他人事ではなく、‘私たちの行事’だと言う親密な認識がある。
⑤バランス良く全世代(0歳から90代まで)が揃っている教会、だから、家族全員が長年一緒に通う教会だと言うところが何より魅力的だ。この教会で生まれ育った信徒がやがて神学校へ行き教職になる献身の道を歩むのも教会内で信仰継承が起こり弟子が起こされていることを証している。
⑥いつでも御言葉を聞き恵まれる準備が出来ている信徒たちがいる。まだまだ未熟な、自分よりはるかに歳下の若い牧師が語るメッセージでも神の言葉として純粋な心で受け取り恵みを分かち合ってくれることには私も頭が下がることであった。
この地上に完璧な教会はありませんが、少なくても招待教会は主が生きて働いておられると言うことを体験させられる教会であります。主がこれからも招待教会を大きく用いられることを信じています。そして、私は招待から学べることは全て今置かれている牧会現場で適用していければと思います。招待の皆さん、ありがとうございました。そして、また一人の主にある兄弟・御国の同労者として引き続きよろしくお願いします。
①招待は本当に良く祈る教会だ。毎朝6時にある早天祈祷会にほぼ休まず参加する忠実なメンバーたちが多くいること、また、とりなし祈りの献身者が常に50人を超えることで、この教会に提出する祈り課題は誰かによって必ず祈られている確信が持てる。
②招待の草原守や役員たちは夜7時に始まった会議が夜11時半を過ぎても真剣に取り組む信じられないほど高い献身度を持っている。牧師より伝道熱心な信徒リーダーたちが多いのも確かなので、こんな教会にまた巡り会えるのはハードルが高い!
③私の忙しさやコロナで惜しまれた部分だが、招待教会の方々は牧場で鍛えられたおもてなし精神がとても素晴らしい。私たちの家族がこの二年間頂いた美味しいものは数えきれず食事に招いて下さった方々も多かった。全部断っていなかったら私は間違いなく5キロ以上太っていただろう。
④在籍300人ぐらいの教会員がいるにも関わらず教会員の結婚式では喜びを共にし、お葬式では悲しみを共にする家族的雰囲気がある。この規模の教会でも教会員の行事は他人事ではなく、‘私たちの行事’だと言う親密な認識がある。
⑤バランス良く全世代(0歳から90代まで)が揃っている教会、だから、家族全員が長年一緒に通う教会だと言うところが何より魅力的だ。この教会で生まれ育った信徒がやがて神学校へ行き教職になる献身の道を歩むのも教会内で信仰継承が起こり弟子が起こされていることを証している。
⑥いつでも御言葉を聞き恵まれる準備が出来ている信徒たちがいる。まだまだ未熟な、自分よりはるかに歳下の若い牧師が語るメッセージでも神の言葉として純粋な心で受け取り恵みを分かち合ってくれることには私も頭が下がることであった。
この地上に完璧な教会はありませんが、少なくても招待教会は主が生きて働いておられると言うことを体験させられる教会であります。主がこれからも招待教会を大きく用いられることを信じています。そして、私は招待から学べることは全て今置かれている牧会現場で適用していければと思います。招待の皆さん、ありがとうございました。そして、また一人の主にある兄弟・御国の同労者として引き続きよろしくお願いします。
チョ・ドリュー師