2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『正しいことへの継続と中断』牧師コーナー(605)
先週から私たちは、出エジプト記15章以降を黙想しています。14章までの内容をまとめますと、 神様はモーセをエジプトへ送り、「イスラエルの民が神様に礼拝できるように、イスラエルの民をエジプトから去らせなさい」と、ファラオに主の言葉を伝えさせました。しかし、ファラオは心を頑なにして民を去らせなかったため、十のわざわいがエジプトへ下されました。
ナイル川の水が血に変わるわざわいをはじめとする、神様による十の苦しいわざわいによって、エジプト全体が大混乱に陥ります。それにもかかわらず、ファラオは頑なな心を変えることなく最後のわざわいが下るまで、イスラエルの民を去らせようとしませんでした。ファラオ自ら、私がエジプトの神だと主張しましたが、神様のわざわいの前では戦うことも、対処することもできず、また、頑なな心を変えることもしませんでした。
このようなファラオの姿を見て、突然一つの言葉が思い浮かびました。「サンクコスト(Sunk Cost Fallacy)」です。今まで自分が行ってきたことが誤りだと明確に判明したにもかかわらず、これまでに投資した分を惜しみ、ついつい投資を継続してしまうことを意味します。事業であれ、職場でのプロジェクトであれ、家事であれ、それが長年頑張ってきたことであっても、特に成果がないのであれば、その場で立ち止まり、方向転換するのがもっと効果的でしょう。しかし、既に費やした多くの時間と費用、努力を惜しみ、それを継続するのだとしたら、まさにそれは、「サンクコスト」に陥っているのです。
「ベトナム戦争」がまさにその例です。アメリカがこの戦争を長引かせた理由は、このサンクコストに陥ってしまったからでした。「この戦争であまりにも多くの兵士の命が失われた。今、戦争をやめるのなら、失われた命を台無しにすることはもちろんのこと、戦争に参加した決定自体が誤りだったと非難されるだろう。」という、残念な考え方に陥ってしまったからです。
今まで耐えてきたのに、今さら諦めるのは自分の誤りを認めることになる、とわかっていながら最後まで頑なだったファラオも同じです。このような誤った決定は、ついにファラオ自身の長子を含め、エジプトの全ての長子が死ぬという最悪の悲劇となったのです。
間違っていると知っていながら、今まで費やしたものを惜しむことで、ファラオのように最後まで誤りを続けてはいけません。結果とは関係なく、決して止めてはいけないことはたった一つ、イエス・キリストからいただいた大宣教命令である、「魂を救い、弟子作る」ことです。これ以外の全てのことは、常に祈りつつ、御霊の導きに従って、このまま継続するか、もしくは中断するか、知恵深く判断しなければなりません。
ナイル川の水が血に変わるわざわいをはじめとする、神様による十の苦しいわざわいによって、エジプト全体が大混乱に陥ります。それにもかかわらず、ファラオは頑なな心を変えることなく最後のわざわいが下るまで、イスラエルの民を去らせようとしませんでした。ファラオ自ら、私がエジプトの神だと主張しましたが、神様のわざわいの前では戦うことも、対処することもできず、また、頑なな心を変えることもしませんでした。
このようなファラオの姿を見て、突然一つの言葉が思い浮かびました。「サンクコスト(Sunk Cost Fallacy)」です。今まで自分が行ってきたことが誤りだと明確に判明したにもかかわらず、これまでに投資した分を惜しみ、ついつい投資を継続してしまうことを意味します。事業であれ、職場でのプロジェクトであれ、家事であれ、それが長年頑張ってきたことであっても、特に成果がないのであれば、その場で立ち止まり、方向転換するのがもっと効果的でしょう。しかし、既に費やした多くの時間と費用、努力を惜しみ、それを継続するのだとしたら、まさにそれは、「サンクコスト」に陥っているのです。
「ベトナム戦争」がまさにその例です。アメリカがこの戦争を長引かせた理由は、このサンクコストに陥ってしまったからでした。「この戦争であまりにも多くの兵士の命が失われた。今、戦争をやめるのなら、失われた命を台無しにすることはもちろんのこと、戦争に参加した決定自体が誤りだったと非難されるだろう。」という、残念な考え方に陥ってしまったからです。
今まで耐えてきたのに、今さら諦めるのは自分の誤りを認めることになる、とわかっていながら最後まで頑なだったファラオも同じです。このような誤った決定は、ついにファラオ自身の長子を含め、エジプトの全ての長子が死ぬという最悪の悲劇となったのです。
間違っていると知っていながら、今まで費やしたものを惜しむことで、ファラオのように最後まで誤りを続けてはいけません。結果とは関係なく、決して止めてはいけないことはたった一つ、イエス・キリストからいただいた大宣教命令である、「魂を救い、弟子作る」ことです。これ以外の全てのことは、常に祈りつつ、御霊の導きに従って、このまま継続するか、もしくは中断するか、知恵深く判断しなければなりません。
趙 南洙師