2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『 聖書を読む目』が開かれなければなりません。 牧師コーナー(617)
家の教会の価値の核心は、「聖書通り」です。「聖書が是というなら是、非というなら非、聖書にしなさいと書かれているならば行い、するなと書かれているならやめる。」というように、聖書を純粋に理解して従う時、私たちは神様のみわざを体験し、神様の知恵と力によって生きることができます。そして、世の価値観と偽りの真理があふれる今の混沌とした時代の中であっても、「教会として健全に、幸せな信仰生活」を送ることができるのです。
では、「聖書を読む目」が開かれるためにはどうすれば良いでしょう。例えば、学生たちがある本を読んで討論をしたり、レポートを書いたりする時、読んだ本を批判する以前にまず、本を書いた「著者の意図」を適切に把握し、理解することが一番の基本となります。聖書を読む際もこれと同様にまずは、「著者の意図」を把握し、理解するべきです。
第一に、「著者の意図」が理解できた時、聖書を読む目が開き始めます。
聖書箇所を黙想したり、勉強する時に気をつけなければならないことがあります。それは、むやみに恵みと感動を求めず、まず「著者の意図」を把握できるように祈ることです。詩篇の著者はみことばと向き合うときにはまず、「私の目を開いてください。私が目を留めるようにしてください。あなたのみおしえのうちにある奇しいことに。」(詩119:18)と告白しています。主が閉ざされた目を開けてくださらない限り、私の目が開かれることはなく、主の真理を知ることができないからです。「著者の意図」を知らずに聖書を読んでいると、みことばを読む喜びがなくなり、毎日黙想することができなくなります。聖書の著者の意図を知るためには、いつも「神様は当時、最初に読む読者に何を教えようと聖書の著者に記録させたのか」という問いかけを持ちながら読むことが大切です。
第二に、「著者の意図」を知る方法は、次の3つです。
①聖書箇所を「前後の文脈」から読み解くのです。なぜなら聖書には本来、章と節の区別がありませんでした。章と節が加えられたのは、AD16世紀頃です。本来の聖書は章と節が書かれていないため、「著者の意図」を知るためには、必ず前後の文脈に合わせて読まなければなりません。
②繰り返されている言葉に注目します。神様も人も、どうしても伝えたいと思う大切なことは必ず繰り返して語るからです。
③当時、最初に読む読者が誰であり、また彼らが置かれていた状況を把握しながら読むことです。聖書はいきなり空から落ちて来たり、地の中から湧き出した本ではありません。神様がさまざまな著者に神の霊感を与え、当時、最初に読む読者に向けて語られた本であり、真理なるみことばなのです。
日々の中でみことばを黙想する我が教会の全信徒が、神様によって「聖書を読む目」が開かれて、神様からの恵みをたくさんのいただけるようお祈りします。
では、「聖書を読む目」が開かれるためにはどうすれば良いでしょう。例えば、学生たちがある本を読んで討論をしたり、レポートを書いたりする時、読んだ本を批判する以前にまず、本を書いた「著者の意図」を適切に把握し、理解することが一番の基本となります。聖書を読む際もこれと同様にまずは、「著者の意図」を把握し、理解するべきです。
第一に、「著者の意図」が理解できた時、聖書を読む目が開き始めます。
聖書箇所を黙想したり、勉強する時に気をつけなければならないことがあります。それは、むやみに恵みと感動を求めず、まず「著者の意図」を把握できるように祈ることです。詩篇の著者はみことばと向き合うときにはまず、「私の目を開いてください。私が目を留めるようにしてください。あなたのみおしえのうちにある奇しいことに。」(詩119:18)と告白しています。主が閉ざされた目を開けてくださらない限り、私の目が開かれることはなく、主の真理を知ることができないからです。「著者の意図」を知らずに聖書を読んでいると、みことばを読む喜びがなくなり、毎日黙想することができなくなります。聖書の著者の意図を知るためには、いつも「神様は当時、最初に読む読者に何を教えようと聖書の著者に記録させたのか」という問いかけを持ちながら読むことが大切です。
第二に、「著者の意図」を知る方法は、次の3つです。
①聖書箇所を「前後の文脈」から読み解くのです。なぜなら聖書には本来、章と節の区別がありませんでした。章と節が加えられたのは、AD16世紀頃です。本来の聖書は章と節が書かれていないため、「著者の意図」を知るためには、必ず前後の文脈に合わせて読まなければなりません。
②繰り返されている言葉に注目します。神様も人も、どうしても伝えたいと思う大切なことは必ず繰り返して語るからです。
③当時、最初に読む読者が誰であり、また彼らが置かれていた状況を把握しながら読むことです。聖書はいきなり空から落ちて来たり、地の中から湧き出した本ではありません。神様がさまざまな著者に神の霊感を与え、当時、最初に読む読者に向けて語られた本であり、真理なるみことばなのです。
日々の中でみことばを黙想する我が教会の全信徒が、神様によって「聖書を読む目」が開かれて、神様からの恵みをたくさんのいただけるようお祈りします。
趙 南洙師