2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『信仰生活において、お酒は飲んでも良いのか?』 牧師コーナー(624)
私たちの周りにはクリスチャンでもお酒をよく飲み、楽しむ方がいらっしゃいます。私は決してお酒を飲む方をさばいたりはしません。お酒を楽しむ方からは「聖書には『酔ってはいけません』と書かれていて、飲んではいけないとは書かれていません。」とよく言われますが、これは聖書の知識が足りないからだと思います。イスラエルは石灰質な地域で水の質が良くないため、食事をする時、水の代わりにぶどう酒を飲みました。そのため、お酒を飲んではいけないとは書かれていないのです。しかし、習慣的に飲むお酒は強く禁じられています。それだけでなく、箴言23:31ではぶどう酒に酔う人に向かって「それ(ぶどう酒)を見てはならない。」と命じています。なぜならお酒というのは、酔うと自制することが難しく、あらゆる過ちと罪を犯す原因となるからです。ですから、イエス様を信じ従うなら、自制してとことんお酒をやめるのが良いです。
統計によれば、日本人口の約33%が実質的なアルコール依存症だと言われています。特に、男性は50~60代に、女性は40~50代に依存症の人が集中しているそうです。お酒による放蕩、物質的な被害、健康を損ねるなど、状況は深刻です。かつて我が教会にもアルコール依存症の人がいました。その兄弟は、結局お酒によって堅い信仰に立つことができず、大切ないのちを失いました。酒を断ち、信仰によって交わることができる場所は教会しかないと思います。ですが、良い信仰者と言われている方がお酒を飲んでいると、残念ながら新たに信仰を持ち始めた人はお酒をやめたいという気持ちにはならないでしょう。
ある方は、お酒が好きなVIPに伝道するなら一緒にお酒を飲んでも良いと思うようですが、そのような行動は役に立たないと思います。私は酒を共に飲みながら、VIPをキリストに導いたという実例を一度も聞いたことがありません。もし、そのような方法で教会に導いたとしても、まことのクリスチャンになるのは難しいと思います。
信仰のない人はむしろ、普段お酒とタバコを一緒にしていた人が徹底してやめる姿に感動を受けて、教会とイエス様に興味を持つようになり、そして自分も信じたいという心が生まれると思います。なぜなら、酒とタバコをやめるのは大変難しいことであることを良く知っているからです。やめる姿を見て「教会は何かが違う」「イエス様は本当に強いお方だ」と思わされ、イエス様に対する興味が生まれるからです。ものを食べたり、食べなかったりすることを決める一番大切なポイントは、「魂の救いと弟子作り」です。そのため成熟したクリスチャンであるなら、魂を救う働きに邪魔になることは何があってもしないようにしましょう。成熟したクリスチャンであるなら、人を立てあげる働きに邪魔になることは絶対してはいけないと思います。
統計によれば、日本人口の約33%が実質的なアルコール依存症だと言われています。特に、男性は50~60代に、女性は40~50代に依存症の人が集中しているそうです。お酒による放蕩、物質的な被害、健康を損ねるなど、状況は深刻です。かつて我が教会にもアルコール依存症の人がいました。その兄弟は、結局お酒によって堅い信仰に立つことができず、大切ないのちを失いました。酒を断ち、信仰によって交わることができる場所は教会しかないと思います。ですが、良い信仰者と言われている方がお酒を飲んでいると、残念ながら新たに信仰を持ち始めた人はお酒をやめたいという気持ちにはならないでしょう。
ある方は、お酒が好きなVIPに伝道するなら一緒にお酒を飲んでも良いと思うようですが、そのような行動は役に立たないと思います。私は酒を共に飲みながら、VIPをキリストに導いたという実例を一度も聞いたことがありません。もし、そのような方法で教会に導いたとしても、まことのクリスチャンになるのは難しいと思います。
信仰のない人はむしろ、普段お酒とタバコを一緒にしていた人が徹底してやめる姿に感動を受けて、教会とイエス様に興味を持つようになり、そして自分も信じたいという心が生まれると思います。なぜなら、酒とタバコをやめるのは大変難しいことであることを良く知っているからです。やめる姿を見て「教会は何かが違う」「イエス様は本当に強いお方だ」と思わされ、イエス様に対する興味が生まれるからです。ものを食べたり、食べなかったりすることを決める一番大切なポイントは、「魂の救いと弟子作り」です。そのため成熟したクリスチャンであるなら、魂を救う働きに邪魔になることは何があってもしないようにしましょう。成熟したクリスチャンであるなら、人を立てあげる働きに邪魔になることは絶対してはいけないと思います。
趙 南洙師