2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『人の実を見るべきです』 牧師コーナー(648)
私は御殿場の宣教センター(GCA)に、ずいぶんと前に柿の木を植えました。かなり時間が経ちましたが、他の木と比べるとあまり成長もせず、まだ花が咲く気配もありません。実りがないため、いつまで待たせるつもりなのかと、私ももどかしく感じています。
復活されたイエス・キリストは、私たちの未来を照らす初穂となられたと聖書は語ります。使徒パウロも、働きの実であるコリント教会の信徒を見ると、自分がまことの使徒であることがわかるのだと伝えます。つまり、その人が本当に神の人かどうかを判断する基準は、「人の実」だということです。そのためイエス様は「人の実」を見て、偽預言者であることがわかるのだと教えています(マタイ7:15-18)。
しかし、この主が教えてくださった「人の実」を見てわかる…というみことばに対して、多くの信徒たちは無頓着だったのではないでしょうか。例えば、リーダーシップの講師であるなら、自分のリーダーシップを発揮してその実を結ぶべきですし、また牧会者セミナーの講師であるなら、自分の教会の牧会を通して実った客観的な証拠があるはずです。私は、家の教会の働きをなさる牧師先生たちの影響を受けて、人を立てるときには立派な学歴や経歴より、その人が歩んできた人生の実を見て決めようとしてきました。
教会のリーダーもまた、教会の聖書的な存在目的である「魂の救いの実りがあるか?」「弟子を立てて牧場を増殖した実りがあるか?」という原則と基準に基づいて立てています。教会は、社会のどの団体とも区別される尊い主のからだです。そのため、そのリーダーは社会的な経歴や役職よりも、その人の働きの実を見て立てるべきです。ですから、家の教会の実りがある人に大切な働きを任せた方が良いのです。多くの知識があり、話が上手な人よりも、家の教会のスピリットを握り、実を結んできた人に主の働きを任せるべきでしょう。
これから「道コース」を導く信徒リーダーを新たに立てるときも、この「人の実」を検証する原則と基準に基づくべきです。ある分野において良く学んだ人だからといって、牧者として働かず、牧場のミニストリーも放置するような人をリーダーとして立ててはいけません。牧場のミニストリーをしない人を道コースのリーダーとして立ててしまうと、この世の知識は理論的によく話せるかもしれませんが、その道コースに参加した信徒の人生を変える講義は決してできないからです。新来者の伝道のために、伝道プログラムに熱心に取り組んだ方々もいらっしゃいます。しかし、実際にその方が伝道した人が牧場に導かれるという実のない限り、継続できないのと同じです。
「人の実を見てわかる」という原則が、我が家の教会においても原則と目標、そして人を選ぶ基準となるべきでしょう。新約聖書が語る正しい教会の姿は家の教会であることを証しするために、聖書が教える「人の実」をまず見なければならないのです。
復活されたイエス・キリストは、私たちの未来を照らす初穂となられたと聖書は語ります。使徒パウロも、働きの実であるコリント教会の信徒を見ると、自分がまことの使徒であることがわかるのだと伝えます。つまり、その人が本当に神の人かどうかを判断する基準は、「人の実」だということです。そのためイエス様は「人の実」を見て、偽預言者であることがわかるのだと教えています(マタイ7:15-18)。
しかし、この主が教えてくださった「人の実」を見てわかる…というみことばに対して、多くの信徒たちは無頓着だったのではないでしょうか。例えば、リーダーシップの講師であるなら、自分のリーダーシップを発揮してその実を結ぶべきですし、また牧会者セミナーの講師であるなら、自分の教会の牧会を通して実った客観的な証拠があるはずです。私は、家の教会の働きをなさる牧師先生たちの影響を受けて、人を立てるときには立派な学歴や経歴より、その人が歩んできた人生の実を見て決めようとしてきました。
教会のリーダーもまた、教会の聖書的な存在目的である「魂の救いの実りがあるか?」「弟子を立てて牧場を増殖した実りがあるか?」という原則と基準に基づいて立てています。教会は、社会のどの団体とも区別される尊い主のからだです。そのため、そのリーダーは社会的な経歴や役職よりも、その人の働きの実を見て立てるべきです。ですから、家の教会の実りがある人に大切な働きを任せた方が良いのです。多くの知識があり、話が上手な人よりも、家の教会のスピリットを握り、実を結んできた人に主の働きを任せるべきでしょう。
これから「道コース」を導く信徒リーダーを新たに立てるときも、この「人の実」を検証する原則と基準に基づくべきです。ある分野において良く学んだ人だからといって、牧者として働かず、牧場のミニストリーも放置するような人をリーダーとして立ててはいけません。牧場のミニストリーをしない人を道コースのリーダーとして立ててしまうと、この世の知識は理論的によく話せるかもしれませんが、その道コースに参加した信徒の人生を変える講義は決してできないからです。新来者の伝道のために、伝道プログラムに熱心に取り組んだ方々もいらっしゃいます。しかし、実際にその方が伝道した人が牧場に導かれるという実のない限り、継続できないのと同じです。
「人の実を見てわかる」という原則が、我が家の教会においても原則と目標、そして人を選ぶ基準となるべきでしょう。新約聖書が語る正しい教会の姿は家の教会であることを証しするために、聖書が教える「人の実」をまず見なければならないのです。
趙 南洙師