2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
0
『とりなしの祈りを活用しましょう』 牧師コーナー(650)
聖書の中には、人の力では到底乗り越えられないような極限の状況の中、とりなしの祈りを通して神のみわざを体験する多くの人の話が登場します。戦う武器も力もなかったイスラエルの民がアマレクと戦った際、モーセの両手を共に支え、一つとなってとりなしの祈りをささげたアロンとフルがいました。神さまはとりなしの祈りの通り、アマレクとの戦いで大勝利を与えてくださいました。また、死刑を目前にしていた獄中のペテロでしたが、教会共同体のとりなしの祈りが、完全に鍵がかかっていた戸口を開き、彼を救いました。
誰もが予想できなかった様々な苦難に直面する時があります。自分の力ではどうすることもできない環境の中で八方塞がりに思う時、重要なこと事を決断しなければならないのにどうすれば良いか不安になる時、VIPの救いを願う時、病の癒しを願う時、闇の働きとの霊的戦いに直面している時など、私たちはどうすればよいでしょうか。
教会の受付などに置いてある緑色の「とりなしの祈りのカード」に祈りの内容を書いて、1階入り口の隣にある「とりなしの祈りのボックス」に入れてください。皆さんのために訓練されたとりなしの祈りの献身者たちが、毎週1時間、決められた時間を聖別して集中してとりなしの祈りをささげます。そして神は、そのとりなしの祈りに応え、あなたの人生の中で働いてくださいます。皆さんが提出してくださる「とりなしの祈りのカード」をもって祈りの部屋に入り、黙々と祈りをささげる人々は、「祈りの道」を通して訓練を受けたとりなしの祈りの献身者たちです。
個人の秘密は決して漏れません。祈りのカードに祈祷課題を書いて出したら「内容が漏れてしまうのでは?」と心配する方がいらっしゃるかもしれません。しかし、皆さんの祈祷課題は最後の最後まで徹底的に守られるようにしています。ですから、苦しいこと、大切なことを一人で悩み、不安になるのではなく、必ず「とりなしの祈りのカード」を積極的に活用して「とりなしの祈りのボックス」に入れてくださることを願います。
今日、週報と一緒に配られた「とりなしの祈りのカード」を書いてください。これからは毎月の四週目の主日週報と共に「とりなしの祈りのカード」を配る予定です。祈祷課題を書いて「とりなしの祈りのボックス」に入れてください。また今まで出された多くの祈祷課題は応えられたのかと気になる方がいらっしゃるかもしれません。ですから祈祷課題の応答があったら、応答があったことを伝えてください。これはすべて、みなが共に祈りに参加する喜びを分かち合うためです。私たちが弱っている時、いつも誰かが自分のために祈ってくれていることは、どれほどの慰めであり、力であるかわかりません。我が教会の全信徒が祈りの応答の喜びを受け、皆がとりなしの祈りの献身者となれることを心から願います。
誰もが予想できなかった様々な苦難に直面する時があります。自分の力ではどうすることもできない環境の中で八方塞がりに思う時、重要なこと事を決断しなければならないのにどうすれば良いか不安になる時、VIPの救いを願う時、病の癒しを願う時、闇の働きとの霊的戦いに直面している時など、私たちはどうすればよいでしょうか。
教会の受付などに置いてある緑色の「とりなしの祈りのカード」に祈りの内容を書いて、1階入り口の隣にある「とりなしの祈りのボックス」に入れてください。皆さんのために訓練されたとりなしの祈りの献身者たちが、毎週1時間、決められた時間を聖別して集中してとりなしの祈りをささげます。そして神は、そのとりなしの祈りに応え、あなたの人生の中で働いてくださいます。皆さんが提出してくださる「とりなしの祈りのカード」をもって祈りの部屋に入り、黙々と祈りをささげる人々は、「祈りの道」を通して訓練を受けたとりなしの祈りの献身者たちです。
個人の秘密は決して漏れません。祈りのカードに祈祷課題を書いて出したら「内容が漏れてしまうのでは?」と心配する方がいらっしゃるかもしれません。しかし、皆さんの祈祷課題は最後の最後まで徹底的に守られるようにしています。ですから、苦しいこと、大切なことを一人で悩み、不安になるのではなく、必ず「とりなしの祈りのカード」を積極的に活用して「とりなしの祈りのボックス」に入れてくださることを願います。
今日、週報と一緒に配られた「とりなしの祈りのカード」を書いてください。これからは毎月の四週目の主日週報と共に「とりなしの祈りのカード」を配る予定です。祈祷課題を書いて「とりなしの祈りのボックス」に入れてください。また今まで出された多くの祈祷課題は応えられたのかと気になる方がいらっしゃるかもしれません。ですから祈祷課題の応答があったら、応答があったことを伝えてください。これはすべて、みなが共に祈りに参加する喜びを分かち合うためです。私たちが弱っている時、いつも誰かが自分のために祈ってくれていることは、どれほどの慰めであり、力であるかわかりません。我が教会の全信徒が祈りの応答の喜びを受け、皆がとりなしの祈りの献身者となれることを心から願います。
趙 南洙師