2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『信仰と実力』 牧師コーナー(651)
先週水曜日の日々のみことばの聖書箇所はレビ記19章でした。神さまはモーセを通して、約束の地に向かっているイスラエルの民に具体的な倫理的指示を与えました。その内容は、十戒を再解釈したみことばでした。
みことばの序論では、神ご自身が聖であるため、主の民であるイスラエルも聖であるべきだと語ります。出エジプト19章6節で語られた通り、イスラエルの民を出エジプトさせたのは、彼らを通してあらゆる国々を救い出す大祭司の国、聖なる民とならしめるためでした。
聖なる民として生きるため、まず守るべきことは、父と母を敬うことと安息日を守ることでした。つまり、親の権威を認めて尊敬すること、そして創造主である神を覚えて礼拝する安息日を守ることが聖なる生き方の始まりであると教えているのです。
私たちが子どもたちに、何よりも信仰を最優先として強調する理由は、私たち自身がエジプト(世)から救われて神の民となったからです。そして、隣人に対する私たちの品性と力が磨かれて、世を変える聖なる祭司としての責任を全うしなければならないからです。
しかし、世(エジプト)から救われて、神に属する「神の民」となった確信がなければ、自分を含め子どもたちにまで神の聖なる民として生きるべきであるという「信仰」を最優先して教えることができないと思います。むしろ競い合う世の中で成功するためには、実力を備えることが最優先だと考え、日々勉強することだけを強調するようになるのではないでしょうか。
もちろん、世で成功するために、若いうちに実力を備えることはとても大切です。人は死ぬまで学ぶ姿勢をもって生きていくと思いますが、学んだことを活かす機会はとても限られているため、若いうちに一生懸命学び、自分の力を培うべきです。
しかし、信仰によって品性が磨かれず、実力だけを追求する人生となるなら、それは自慢と欲望にまみれたものとなり、むしろその実力によって不幸で苦しむ人生を生きるようになるかもしれません。
信仰は、正しい目的に進むための人生の指針です。まず、聖なる民として選ばれた私たち自身の信仰を振り返ってみましょう。そして子どもたちにもその信仰を継承し、霊的な品性と世を変える実力がバランス良く、聖なる信仰の土台の上に堅く立てられるように育成することを願います。主に召された目的の通りに生きる人生が最も幸せだからです。
みことばの序論では、神ご自身が聖であるため、主の民であるイスラエルも聖であるべきだと語ります。出エジプト19章6節で語られた通り、イスラエルの民を出エジプトさせたのは、彼らを通してあらゆる国々を救い出す大祭司の国、聖なる民とならしめるためでした。
聖なる民として生きるため、まず守るべきことは、父と母を敬うことと安息日を守ることでした。つまり、親の権威を認めて尊敬すること、そして創造主である神を覚えて礼拝する安息日を守ることが聖なる生き方の始まりであると教えているのです。
私たちが子どもたちに、何よりも信仰を最優先として強調する理由は、私たち自身がエジプト(世)から救われて神の民となったからです。そして、隣人に対する私たちの品性と力が磨かれて、世を変える聖なる祭司としての責任を全うしなければならないからです。
しかし、世(エジプト)から救われて、神に属する「神の民」となった確信がなければ、自分を含め子どもたちにまで神の聖なる民として生きるべきであるという「信仰」を最優先して教えることができないと思います。むしろ競い合う世の中で成功するためには、実力を備えることが最優先だと考え、日々勉強することだけを強調するようになるのではないでしょうか。
もちろん、世で成功するために、若いうちに実力を備えることはとても大切です。人は死ぬまで学ぶ姿勢をもって生きていくと思いますが、学んだことを活かす機会はとても限られているため、若いうちに一生懸命学び、自分の力を培うべきです。
しかし、信仰によって品性が磨かれず、実力だけを追求する人生となるなら、それは自慢と欲望にまみれたものとなり、むしろその実力によって不幸で苦しむ人生を生きるようになるかもしれません。
信仰は、正しい目的に進むための人生の指針です。まず、聖なる民として選ばれた私たち自身の信仰を振り返ってみましょう。そして子どもたちにもその信仰を継承し、霊的な品性と世を変える実力がバランス良く、聖なる信仰の土台の上に堅く立てられるように育成することを願います。主に召された目的の通りに生きる人生が最も幸せだからです。
趙 南洙師