2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『教会の奉仕をささげていますか?』 牧師コーナー(655)
全ての人は、キリストにあって一つの体であり、一人ひとりはその部分です(一コリント12:27) 。そのため、教会に属する信徒であるなら、教会の部分として主に仕える奉仕をささげましょう。我が教会では、信徒の方が二つの奉仕に関わってくださることを願っています。一つは、牧場で奉仕をささげること、もう一つは、教会で奉仕をささげることです。もちろん、賜物と必要に応じてもっと多くの奉仕をしている方もいますが、原則として一つの奉仕は必ずささげるようにしましょう。
奉仕を選ぶときに、私は主任牧師としてお願いしていることがあります。一つ目は、簡単にささげられる奉仕ではなく、できる限り犠牲が伴う奉仕を選んでいただきたいということです。信仰歴が短い方や我が教会に属して間もない方であれば、比較的仕えやすい奉仕を選んでも良いでしょう。しかし、信仰歴がある程度長い方は、犠牲が伴う道を選ぶのが良いと思います。教会で奉仕が与えられたのは、教会のために責任を負うという献身をしたことであり、信仰が成長することは、その方の人生が犠牲の道を歩むために備えられたということを意味するからです。犠牲の伴わない奉仕は、趣味生活にすぎません。
二つ目は、できる限り価値の小さなミニストリーより、価値の高いミニストリーを選ぶことです。神の御前にささげるミニストリーの中で価値のないものは一つもありません。しかし、その価値の程度の差は確かにあります。それは、人を立てることに直接関わる奉仕であるか、それとも間接的に関わる奉仕であるかの差にあると思います。
特に、我が教会には、次世代を育てる教会としての使命が与えられています。次世代を育てることはスローガンをたてればできることではなく、祈りだけでできることでもありません。次世代のために犠牲を払う献身のゆえに可能となります。せっかく主のために仕える献身をしたのであれば、我が教会の次世代である子どもたちのための奉仕に携わってくださることを願います。我が教会の信徒であるなら、必ず、一度は携わるべきものとして、子どもたちのための奉仕を考えてください。
教会の奉仕を選ぶ時、誰もができるミニストリーより、人が選ばないミニストリーを選ぶ方が増えていくことを願います。これは、我が教会の成熟度と関連のあることだからです。祈りをささげながら、自分の信仰と賜物の量りに応じて適切な奉仕を選び、仕えることにより与えられる恵みを味わうことを願います。
奉仕を選ぶときに、私は主任牧師としてお願いしていることがあります。一つ目は、簡単にささげられる奉仕ではなく、できる限り犠牲が伴う奉仕を選んでいただきたいということです。信仰歴が短い方や我が教会に属して間もない方であれば、比較的仕えやすい奉仕を選んでも良いでしょう。しかし、信仰歴がある程度長い方は、犠牲が伴う道を選ぶのが良いと思います。教会で奉仕が与えられたのは、教会のために責任を負うという献身をしたことであり、信仰が成長することは、その方の人生が犠牲の道を歩むために備えられたということを意味するからです。犠牲の伴わない奉仕は、趣味生活にすぎません。
二つ目は、できる限り価値の小さなミニストリーより、価値の高いミニストリーを選ぶことです。神の御前にささげるミニストリーの中で価値のないものは一つもありません。しかし、その価値の程度の差は確かにあります。それは、人を立てることに直接関わる奉仕であるか、それとも間接的に関わる奉仕であるかの差にあると思います。
特に、我が教会には、次世代を育てる教会としての使命が与えられています。次世代を育てることはスローガンをたてればできることではなく、祈りだけでできることでもありません。次世代のために犠牲を払う献身のゆえに可能となります。せっかく主のために仕える献身をしたのであれば、我が教会の次世代である子どもたちのための奉仕に携わってくださることを願います。我が教会の信徒であるなら、必ず、一度は携わるべきものとして、子どもたちのための奉仕を考えてください。
教会の奉仕を選ぶ時、誰もができるミニストリーより、人が選ばないミニストリーを選ぶ方が増えていくことを願います。これは、我が教会の成熟度と関連のあることだからです。祈りをささげながら、自分の信仰と賜物の量りに応じて適切な奉仕を選び、仕えることにより与えられる恵みを味わうことを願います。
趙 南洙師