2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『牧者の皆さんを誇りに思います』 牧師コーナー(656)
家の教会は、新約聖書でいう「小さな教会」です。聖書では主イエスを信じる私たちを「羊」とたとえるため、家の教会を「牧場」と呼び、群れのために責任を果たし、導くリーダーのことを「牧者」、つまり「信徒牧会者」と称します。そのため、牧者は小グループのリーダーというより、牧場のメンバーをケアし、導く牧会者と理解しています。
牧者は、牧場の集まりを通して魂の救いのための伝道活動と、共に祈り、礼拝もささげ、聖書を通した教育を行います。そして、信徒との交わりと共に、宣教師や弱い教会を支援することで宣教の役割をも担っております。もちろんこれは牧者ひとりが担うのではなく、牧場のメンバーを励まして、共に奉仕する喜びを味わいながら、小さな教会としてその機能を全うするのです。
牧者の喜びとは、一番目に、牧場の交わりを通して人々が主イエスに似ていく姿を見ることです。つまり人々が変えられていく姿を見る中で、聖霊様がリアルタイムで働かれるのを体験できるのは、牧者として仕えてみなければ体験できない祝福です。信仰や教会生活に対して懐疑的で、反対していた人が変えられ、主イエスを信じると告白し、洗礼を受けます。そのように変えられていく姿を見ることこそが、牧者に与えられるかけがえのない霊的祝福です。
自己中心で、頑固だった人が、ある日を境に隣人に仕え、奉仕する姿に変えられ、牧者として献身したいという時、牧者は心が揺さぶられ、感動の涙を流します。主の御前に人を立てる弟子としての人生を体験する時です。
もう一つの喜びであり祝福は、信徒牧会者として仕えながら牧者自身が、弟子としての訓練を受け、内側から主イエスに似ていく成長の過程を体験することです。エペソ人への手紙の教えの通り、キリストの満ち満ちた身丈にまで達することが私たちの信仰生活ですが、このみことばを体験できる秘訣は、主イエスのように仕える人生を生きることです。
趣味生活には時間とお金を惜しまずかけながら、隣人に仕える機会が与えられているのにも関わらず、牧場と教会生活には無関心で仕えようとせず、自分の体面ばかり気にする人がいます。趣味を大切にしても、信仰生活をないがろにして軽んじる人です。
しかし牧者は違います。隣人のために仕えながら、人々が良くなっていくことを喜びながら生きる信仰の人なのです。牧者の皆さんを誇りに思います。
牧者は、牧場の集まりを通して魂の救いのための伝道活動と、共に祈り、礼拝もささげ、聖書を通した教育を行います。そして、信徒との交わりと共に、宣教師や弱い教会を支援することで宣教の役割をも担っております。もちろんこれは牧者ひとりが担うのではなく、牧場のメンバーを励まして、共に奉仕する喜びを味わいながら、小さな教会としてその機能を全うするのです。
牧者の喜びとは、一番目に、牧場の交わりを通して人々が主イエスに似ていく姿を見ることです。つまり人々が変えられていく姿を見る中で、聖霊様がリアルタイムで働かれるのを体験できるのは、牧者として仕えてみなければ体験できない祝福です。信仰や教会生活に対して懐疑的で、反対していた人が変えられ、主イエスを信じると告白し、洗礼を受けます。そのように変えられていく姿を見ることこそが、牧者に与えられるかけがえのない霊的祝福です。
自己中心で、頑固だった人が、ある日を境に隣人に仕え、奉仕する姿に変えられ、牧者として献身したいという時、牧者は心が揺さぶられ、感動の涙を流します。主の御前に人を立てる弟子としての人生を体験する時です。
もう一つの喜びであり祝福は、信徒牧会者として仕えながら牧者自身が、弟子としての訓練を受け、内側から主イエスに似ていく成長の過程を体験することです。エペソ人への手紙の教えの通り、キリストの満ち満ちた身丈にまで達することが私たちの信仰生活ですが、このみことばを体験できる秘訣は、主イエスのように仕える人生を生きることです。
趣味生活には時間とお金を惜しまずかけながら、隣人に仕える機会が与えられているのにも関わらず、牧場と教会生活には無関心で仕えようとせず、自分の体面ばかり気にする人がいます。趣味を大切にしても、信仰生活をないがろにして軽んじる人です。
しかし牧者は違います。隣人のために仕えながら、人々が良くなっていくことを喜びながら生きる信仰の人なのです。牧者の皆さんを誇りに思います。
趙 南洙師