2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『新たに家の教会のセミナーを開催します。』 牧師コーナー(682)
ご存知のように、2008年から我が教会は新約聖書が教える教会の姿を回復する家の教会のムーブメントを日本において始めました。しばらくの間、牧会者セミナーと信徒対象のセミナーを同時に開催することによって、日本中の牧会者と他教会の信徒のたちが、我が教会の牧場のミニストリーと道コース、主日牧場共同礼拝を見て学ぶために仕えてきました。
しかし4年前、主任牧師であった私の引退と同時に、セミナーの開催を他教会に委託することになりました。しかし、委託された教会もコロナ感染予防のため、セミナーの開催に困難を抱えてきました。
今年の年間聖句のようにリバイバル・アゲインを望みつつ、来る4月21日(金)〜23日(日)、我が教会で新たに信徒対象セミナーを開催することとなりました。家の教会のセミナーは他のセミナーとは違って、参加してくださる方々を神さまからの御使いとして受け入れ、仕えます。ですから徹底的に準備をし、また牧者の家をありのまま見せるセミナーです。家の教会のスピリットは教わって学ぶのではなく、見て学びます。ですから私たちの見たまま、知っているままの姿を、隠すことなく見せるセミナーなのです。牧者の家を見せることも、休みなく講義を続ける牧師も、食事の準備をはじめ、見えないところで仕える多くの奉仕者たちの献身も、それらを考えるとセミナーの開催は決して簡単なことではないと思います。
それにも関わらず、30名の御使いたちを受け入れ、セミナーを開催しようとする理由があります。一つ目は、家の教会のセミナーはどの教会でもできる奉仕ではありません。ですから開催できることは大いなる祝福であり、栄光なのです。二つ目は、天における報いが与えられるからです。キリストの名によって、御使いたちに飲ませる一杯の水さえも主は決して忘れないと教えてくださいました。ですから私たちが、心と体を尽くして仕えることにより、我が教会の上に神の豊かな祝福が与えられると信じます。三つ目は、私たち自身を振り返り、見直すことのできるとても良い時であるからです。家の教会のミニストリーをする中で、時間の経過と共に私たちはマンネリ化し、苦労や労力を言い訳にして心が変化していたかもしれません。しかし、家の教会に関心をもって学ぼうとする人々の姿を見る時、私たちは再び原則に戻り、家の教会のスピリットと理念を確認することにより、変質していた私たち自身の姿に気づくことができるかもしれません。
労することの多いセミナーの開催ですが、新たに発見される主の真理が与えられ、また奉仕を通した祝福の証しと感謝があふれる時になると信じます。
しかし4年前、主任牧師であった私の引退と同時に、セミナーの開催を他教会に委託することになりました。しかし、委託された教会もコロナ感染予防のため、セミナーの開催に困難を抱えてきました。
今年の年間聖句のようにリバイバル・アゲインを望みつつ、来る4月21日(金)〜23日(日)、我が教会で新たに信徒対象セミナーを開催することとなりました。家の教会のセミナーは他のセミナーとは違って、参加してくださる方々を神さまからの御使いとして受け入れ、仕えます。ですから徹底的に準備をし、また牧者の家をありのまま見せるセミナーです。家の教会のスピリットは教わって学ぶのではなく、見て学びます。ですから私たちの見たまま、知っているままの姿を、隠すことなく見せるセミナーなのです。牧者の家を見せることも、休みなく講義を続ける牧師も、食事の準備をはじめ、見えないところで仕える多くの奉仕者たちの献身も、それらを考えるとセミナーの開催は決して簡単なことではないと思います。
それにも関わらず、30名の御使いたちを受け入れ、セミナーを開催しようとする理由があります。一つ目は、家の教会のセミナーはどの教会でもできる奉仕ではありません。ですから開催できることは大いなる祝福であり、栄光なのです。二つ目は、天における報いが与えられるからです。キリストの名によって、御使いたちに飲ませる一杯の水さえも主は決して忘れないと教えてくださいました。ですから私たちが、心と体を尽くして仕えることにより、我が教会の上に神の豊かな祝福が与えられると信じます。三つ目は、私たち自身を振り返り、見直すことのできるとても良い時であるからです。家の教会のミニストリーをする中で、時間の経過と共に私たちはマンネリ化し、苦労や労力を言い訳にして心が変化していたかもしれません。しかし、家の教会に関心をもって学ぼうとする人々の姿を見る時、私たちは再び原則に戻り、家の教会のスピリットと理念を確認することにより、変質していた私たち自身の姿に気づくことができるかもしれません。
労することの多いセミナーの開催ですが、新たに発見される主の真理が与えられ、また奉仕を通した祝福の証しと感謝があふれる時になると信じます。
趙 南洙師