川崎 教会 とりなしの祈り 家の教会

2025年 年間標語 年間標語「強く、雄々しくあれ」(ヨシュア1章1~9節)


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「人は頼る存在ではなく愛する対象です」 牧師コーナー(336)

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私たちは「失望した。そんなはずはない」という言葉を口にする時があります。それほど、人に対して期待していたということです。ところが、誰であれ人に頼ると失望することになります。元々人間にはエゴがあるので、誰でも自己中心的になってしまいます。それで期待を向ける対象が子どもであれ、夫婦であれ、隣人であれ、誰であっても、人を期待して頼ると必ず失望する確率が高くなります。

人は愛すべき対象です。祈り、そして何の報いも期待しないで愛すべき対象であり、頼る対象ではありません。愛し、その報いを期待しないならば、失望もしません。夫婦の間にも失望することがあるのはお互いの期待が大きいからです。愛し、心注いだのに、自分の期待に外れた行動が見られたとき、互いに失望してしまうわけです。わが子にも愛を注ぎ出せば出すほど、両親の期待に外れた行動が見られた時こそ、失望感は大きくなります。

牧場においても愛し合い、祈り合う関係になるべきです。愛し、祈り支えているのに、時々期待に外れた行動が見られる場合があります。その時、今まで支えてきたことへの報いを期待しているなら失望するだろうと思います。人からの報いを期待するなら、お互いに仕え合うことは難しくなります。

私たちが仕え合う愛は、その恩返しを期待しないでただ与える愛になるべきです。そうすることでお互いに仕え合う後に失望しないと思います。私たちはお互いに失望させやすい存在であり、傷の多い人間であるからです。

神様は、人間に対する期待を諦めておられます。その代わりに、私たちがまだ罪人であった時、汚れた私たちをありのまま受け入れ、愛してくださいました。

誰であれ、私たちは人への期待を下ろして、ありのままの相手を愛することこそ、私たちが実践すべき愛ではないかと思います。

人は誰であれ、愛の対象者であることを心に刻むべきです。このような心構えで隣人に接するなら、失望の代わりに理解する関係になるだろうと思います。そして、ある人の失望する姿を見たとしても「有り得る」と理解を示すことができると思います。

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