2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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「賢い人も事故を起こす」 牧師コーナー(363)
ブラインドスポット(Blind Spot)という言葉があります。運転するとき、確かにバックミラーにもサイドミラーにも見えなかったのに、突然そばに車が寄ってきて事故を起こしてしまうケースです。それは確認したにもかかわらずその車が視界に入らなかったからです。この死角をブラインドスポットと言います。
多くの人々は自分自身のことをよく知っていると思っています。特に自らが賢いと思っている方々は自分に対して確かな確信を持ち、強固な意志の持ち主です。 しかし、私たちは全てにおいて神のように完全な存在ではありません。自分なりにいろいろと確認しつつ歩んで生きているつもりですが、自分の目には見えない死角(盲点)があるわけです。
いつも通る道を運転している時、別の思いに意識がとらわれ、近づく物体が見えないこともあります。大変賢い人であっても自己主張という偏見の淵にはまってしまうと、周りからのアドバイスが全く聞こえなくなる場合があります。そうなると、賢い人も事故を起こす危険があります。
全ての事故は、自分か相手を傷つけ、厳しい痛みを与えてしまいます。しかし、過去の傷と痛みを覚えている人なら、より自分を吟味し、人間関係において見えない死角(盲点)を認め備える人生の歩みができると思います。
人が自分自身を省みる方法に、隣人というカガミを通して自分の姿を見ることがあります。しかし、このカガミがいつも自分の周りにあるとは限らないことが大きな課題です。 ところが、私たちは家の 教会(牧場の集い)で互いに日々の生活を分ち合い、他人の告白を伺い、その歩みを見ることで自分たちには見えなかった死角に気づかされる場合が多いと思います。
そういう意味で牧場の家族たちは自分の姿を見せてくれるカガミのような役割をしていると言えます。隣人のカガミの中に自分の姿を見るなら、見えなかった死角(盲点)による事故を事前に予防でき、幸いな人生に備えることができると思います。 ですから、牧場の集いこそ、私たちの人生における祝福の場であると言えるのです。
多くの人々は自分自身のことをよく知っていると思っています。特に自らが賢いと思っている方々は自分に対して確かな確信を持ち、強固な意志の持ち主です。 しかし、私たちは全てにおいて神のように完全な存在ではありません。自分なりにいろいろと確認しつつ歩んで生きているつもりですが、自分の目には見えない死角(盲点)があるわけです。
いつも通る道を運転している時、別の思いに意識がとらわれ、近づく物体が見えないこともあります。大変賢い人であっても自己主張という偏見の淵にはまってしまうと、周りからのアドバイスが全く聞こえなくなる場合があります。そうなると、賢い人も事故を起こす危険があります。
全ての事故は、自分か相手を傷つけ、厳しい痛みを与えてしまいます。しかし、過去の傷と痛みを覚えている人なら、より自分を吟味し、人間関係において見えない死角(盲点)を認め備える人生の歩みができると思います。
人が自分自身を省みる方法に、隣人というカガミを通して自分の姿を見ることがあります。しかし、このカガミがいつも自分の周りにあるとは限らないことが大きな課題です。 ところが、私たちは家の 教会(牧場の集い)で互いに日々の生活を分ち合い、他人の告白を伺い、その歩みを見ることで自分たちには見えなかった死角に気づかされる場合が多いと思います。
そういう意味で牧場の家族たちは自分の姿を見せてくれるカガミのような役割をしていると言えます。隣人のカガミの中に自分の姿を見るなら、見えなかった死角(盲点)による事故を事前に予防でき、幸いな人生に備えることができると思います。 ですから、牧場の集いこそ、私たちの人生における祝福の場であると言えるのです。