2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『なぜクリスチャンになったのか?』 牧師コーナー(385)
英国が誇る20世紀の知識人、哲学者であり数学者でもあるバートランド・ラッセル(Bertrand Russell)はノーベル賞受賞者としても有名です。彼は15歳でキリスト教を研究し、18歳になったときに、もはやキリスト教の神を信じる必要がないと考え、無神論者になったと言われています。
ラッセルが無神論者になった理由の説明では、宗教は人間の恐れ(fear)という感情を利用していると批判し、キリスト教が人類の進歩を妨害していると結論づけています。
おそらく、このようなラッセルの論理は「主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ」(箴言1:7)に用いられている「恐れること(fear)」という言葉を恐怖と誤解したのではないかと思われます。ラッセルは、キリスト教の信仰を持つことがこのような恐怖という自己の感情に屈することで、自分だけは恐怖に対抗して生きなければならないと考えたのです。それゆえに彼はクリスチャンになりませんでした。
彼はこの「恐怖」を完全に克服できなかったようです。なぜなら、死に直面した彼の恐怖が自伝の文章の中ににじみ出ているからです。まるで無神論者ニーチェ自身も、批判していたキリスト教が本当に真理ならば、自分はどうなるのだろうと恐れていたことと同様です。
虚無の恐怖、罪の裁きに対する恐怖、このような恐怖を理由として、人はクリスチャンになる場合がないわけではありません。しかし、創造主(神)はいつくしみとあわれみに富まれ、人生の様々な恐怖から弱い私たちを守る避け所となってくださいます。
新約聖書テモテへの手紙第二1章7節では「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊」だと語られています。ラッセルは「おくびょうの霊」をすべての宗教の土台だと思ったわけですが、それは偏見でした。
ここで、自らに質問をしてみてください。あなたがクリスチャンである理由は何ですか。偉大な哲学者でも創造主(神)の愛を見いだすことができないなら、クリスチャンとなるべき理由がわからないのです。私たちがクリスチャンであることは、まさに創造主(神)の愛からの素晴らしい恵みゆえなのです。
ラッセルが無神論者になった理由の説明では、宗教は人間の恐れ(fear)という感情を利用していると批判し、キリスト教が人類の進歩を妨害していると結論づけています。
おそらく、このようなラッセルの論理は「主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ」(箴言1:7)に用いられている「恐れること(fear)」という言葉を恐怖と誤解したのではないかと思われます。ラッセルは、キリスト教の信仰を持つことがこのような恐怖という自己の感情に屈することで、自分だけは恐怖に対抗して生きなければならないと考えたのです。それゆえに彼はクリスチャンになりませんでした。
彼はこの「恐怖」を完全に克服できなかったようです。なぜなら、死に直面した彼の恐怖が自伝の文章の中ににじみ出ているからです。まるで無神論者ニーチェ自身も、批判していたキリスト教が本当に真理ならば、自分はどうなるのだろうと恐れていたことと同様です。
虚無の恐怖、罪の裁きに対する恐怖、このような恐怖を理由として、人はクリスチャンになる場合がないわけではありません。しかし、創造主(神)はいつくしみとあわれみに富まれ、人生の様々な恐怖から弱い私たちを守る避け所となってくださいます。
新約聖書テモテへの手紙第二1章7節では「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊」だと語られています。ラッセルは「おくびょうの霊」をすべての宗教の土台だと思ったわけですが、それは偏見でした。
ここで、自らに質問をしてみてください。あなたがクリスチャンである理由は何ですか。偉大な哲学者でも創造主(神)の愛を見いだすことができないなら、クリスチャンとなるべき理由がわからないのです。私たちがクリスチャンであることは、まさに創造主(神)の愛からの素晴らしい恵みゆえなのです。