2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『正しくお金を使う習慣を学びます』 牧師コーナー(476)
私はすべてのことを節約して生活する原則を持って生きてきました。経済的に余裕がない家で育ったことも理由の一つですが、浪費して生きている人たちを良くは思いません。また節約しないと神の御前に捧げる生活も困難だと思うからです。靴も上部が壊れていないなら、底をすりつぶして履いています。先日、腕時計が壊れた時には、高級時計に全く関心がない訳ではありませんが、自然と健康も管理できる安いスマートウォッチを選び、使っています。
年を取って苦しく生きているように見えるかもしれません。しかしこうするのは実用的に生きるという思いもありますが、やたらにお金を使わないという習慣があるからです。
数年前に我が子の勉強と結婚がすべて終わり、それ以前より経済的な心の余裕が生まれました。だから食べたいものを食べ、行きたい所に行けると自らが思うようになりました。
ところが、そのような心の余裕があるにもかかわらず、お金を使うことは簡単ではありません。旅行の際、空港でのどが渇いて200円くらいする水を買って飲むことがもったいなくて、水道水を探したこともありました。レストランでは食べ物が残って捨ててしまうのがもったいなくて満腹でも全部食べます。
このようにいつもお金を意識して生きているので、心の余裕がないと感じます。だから 数年前からお金に関して余裕を持つ努力しています。コンビニで飲み物を買って飲むことより、スターバックスに行って飲んだりもします。どこかに行って値段を気にしてあちこち回らずに買おうとも考えます。最近は、空港で高いペットボトルの水も買って飲みます。そして特別に経済的な余裕がない人々には、もてなそうと努力しています。
しかし習慣になっていないからか、いまだに簡単ではありません。使徒パウロが語っています。「私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています」(ピリピ4:12)。
私は貧しさの中を生きることは学びましたが、豊かさの中を生きることがまだ足りないようです。イースターを備えつつ、他の人のためにご自身を差し出されたイエス様のように、隣人のためにお金をよく使う人になろうと決めました。
年を取って苦しく生きているように見えるかもしれません。しかしこうするのは実用的に生きるという思いもありますが、やたらにお金を使わないという習慣があるからです。
数年前に我が子の勉強と結婚がすべて終わり、それ以前より経済的な心の余裕が生まれました。だから食べたいものを食べ、行きたい所に行けると自らが思うようになりました。
ところが、そのような心の余裕があるにもかかわらず、お金を使うことは簡単ではありません。旅行の際、空港でのどが渇いて200円くらいする水を買って飲むことがもったいなくて、水道水を探したこともありました。レストランでは食べ物が残って捨ててしまうのがもったいなくて満腹でも全部食べます。
このようにいつもお金を意識して生きているので、心の余裕がないと感じます。だから 数年前からお金に関して余裕を持つ努力しています。コンビニで飲み物を買って飲むことより、スターバックスに行って飲んだりもします。どこかに行って値段を気にしてあちこち回らずに買おうとも考えます。最近は、空港で高いペットボトルの水も買って飲みます。そして特別に経済的な余裕がない人々には、もてなそうと努力しています。
しかし習慣になっていないからか、いまだに簡単ではありません。使徒パウロが語っています。「私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています」(ピリピ4:12)。
私は貧しさの中を生きることは学びましたが、豊かさの中を生きることがまだ足りないようです。イースターを備えつつ、他の人のためにご自身を差し出されたイエス様のように、隣人のためにお金をよく使う人になろうと決めました。