川崎 教会 とりなしの祈り 家の教会

2023年 年間標語 「リバイバル・アゲイン」(ハバクク3章2節)


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『祈りと介入(行動)の境界線』 牧師コーナー(569)

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隣人を助けるほとんどのリーダーたちが経験している悩みは祈りと行動の問題であると思います。誰かのために祈っているけど、何の変化も見えない場合があります。この時、 ただ祈り続けて待つべきなのか?それとも、直接お会いして具体的な助言をすべきで あるのか?という悩みです。キリスト教の中にも二つの考え方があります。一つは祈りつつ神様に委ねなさい、神様がなさるという立場です。もう一つは祈りだけでいいのか? 行動しないと、祈りだけでは、まるで果実の木の下に横になって果物が落ちるのを待って いることと何が違うだろうかと言う立場です。

実は、祈りと行いはいつも一緒にあるべきものです。ここに私たちの悩みが あるわけです。いつまで祈り、いつから行動してよいのか?という問題です。そして 行動してもいつも良い効果があるわけではありません。時には逆効果になる場合も あります。その時は、自分の祈りが足りなかったのか?まだ時ではないのに慌てたのか? 個人的なプライバシーに介入しすぎたのか?このようなさまざまな思いがするわけです。

結論から言いますと祈りと行動し介入することの境界線はないのです。人によって、 信仰のレベルと助言を受け入れる程度が違うので、それぞれの状況によって違うだろうと 言うしかありません。ここに私たちの霊的緊張があり、霊的に見分ける霊性が 求められるのです。

私は、まず誰かの信仰に決断が必要だと感じた時、特別の期間を定めて集中して祈ります。祈っている間には一切行動しないで神の時を待ち望みます。今なら話しても大丈夫だろうと判断がついた時、その人にアドバイスをします。しかし一度話したとしてすぐ人が変わる わけではありません。ある人には何の効果もない場合もあり、厳しい場合は反発したり、 少ない事例ですが教会を離れてしまう場合もあります。この場合は悩み落ち込みますが、 充分祈ってからアドバイスしたので神様に委ねることにしています。祈りだけにして 何もしないままでいるより良いと思っております。このように行動するのも信仰に よるものであり、祈りの延長線上にいることと信じるからです。それにもかかわらず、 祈りと行動し介入することの境界線を定めるのは大変難しいし、行動しても、どのような 方法で、どの線まで介入して良いのか?いまだに牧師である自分にも課題として 残っています。
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