2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『霊性が病み始まる理由』 牧師コーナー(575)
以前、韓国でよく知られている二つの教会を訪問した事がありますが、それらはとても対照的でした。両方とも、尊敬される立派な牧師先生による素晴らしい説教が聞こえる
教会として評価されています。ところが、二つの教会は何かが違っていました。よくわかりませんが、片方の教会は礼拝のダイナミックさが感じられず、もう一つの教会の礼拝は
生き生きしていました。何が二つの教会の礼拝雰囲気をここまで変えさせただろうかと、
注意して観察してみました。
その違いを発見するのは難しくありませんでした。多くの理由があると思いますが、 何より大きな理由は、気楽さへの安住と不便さに伴う献身の違いであると思わされました。はじめの教会は安定していて、素晴らしいプログラムに、綺麗に建てられた会堂で礼拝を 捧げながら何の不便さも感じない教会でした。しかし二つ目の教会は不便さが多い教会で した。会堂が狭くて隣のビルを借りて礼拝していますが、毎週の礼拝のために信徒たちが 数百の椅子を運んだり、教会に駐車場もなかったので遠くから歩かなければならず、 教育施設も狭くていろんな事が不便でした。しかし、そのような不便さを受け入れようと する献身のゆえに信徒たちが明るく、礼拝が生き生きとして、ダイナミックさを感じる事ができるのでした。
ここで気づくことは、キリスト者の歩みに不便さが消えてしまい、気楽さに安住して しまうと霊性も死んでしまう事実です。実は、私たちは小さな不便さにも耐えられない 文化の中で生きています。少しでも便利な道具が発売されるとすぐ取り替えて使い、 少しでも楽な施設があるならそちらを利用し、気楽に生きることができる道なら何でも 取り入れます。教会も同じではないでしょうか。教会が小さくて経済的にも貧しい時は いろんな面において不便な事が多くあります。それから規模が大きくなり、経済的にも 余裕があると綺麗な建物を建て、広い食堂も作り、気楽な駐車場を備えたり、システムも より気楽に変えたり、それで教会は時間とともに立派な施設になるだろうと思いますが、 私たちが気づかないうちに、自分たちの霊性は病み始めるわけです。
そういう意味でわが教会はまだ不便さが多い教会です。食堂も狭いし、教育施設も 足りなく、本当に足りないところが多い教会です。不便さが私たちの霊性を生かしてくれるならよく耐えていきたいと思います。
その違いを発見するのは難しくありませんでした。多くの理由があると思いますが、 何より大きな理由は、気楽さへの安住と不便さに伴う献身の違いであると思わされました。はじめの教会は安定していて、素晴らしいプログラムに、綺麗に建てられた会堂で礼拝を 捧げながら何の不便さも感じない教会でした。しかし二つ目の教会は不便さが多い教会で した。会堂が狭くて隣のビルを借りて礼拝していますが、毎週の礼拝のために信徒たちが 数百の椅子を運んだり、教会に駐車場もなかったので遠くから歩かなければならず、 教育施設も狭くていろんな事が不便でした。しかし、そのような不便さを受け入れようと する献身のゆえに信徒たちが明るく、礼拝が生き生きとして、ダイナミックさを感じる事ができるのでした。
ここで気づくことは、キリスト者の歩みに不便さが消えてしまい、気楽さに安住して しまうと霊性も死んでしまう事実です。実は、私たちは小さな不便さにも耐えられない 文化の中で生きています。少しでも便利な道具が発売されるとすぐ取り替えて使い、 少しでも楽な施設があるならそちらを利用し、気楽に生きることができる道なら何でも 取り入れます。教会も同じではないでしょうか。教会が小さくて経済的にも貧しい時は いろんな面において不便な事が多くあります。それから規模が大きくなり、経済的にも 余裕があると綺麗な建物を建て、広い食堂も作り、気楽な駐車場を備えたり、システムも より気楽に変えたり、それで教会は時間とともに立派な施設になるだろうと思いますが、 私たちが気づかないうちに、自分たちの霊性は病み始めるわけです。
そういう意味でわが教会はまだ不便さが多い教会です。食堂も狭いし、教育施設も 足りなく、本当に足りないところが多い教会です。不便さが私たちの霊性を生かしてくれるならよく耐えていきたいと思います。