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心理学によれば、自分が劣っていると感じるとき、それを隠すために他人をけなして、自分の優越性を保とうとする傾向があると指摘されています。また、自分を愛せず不安を抱えている人が、他人を中傷することで自分の価値を守ろうとする心理が働くことがあるといわれます。それは同時に、他人の成功や長所を受け入れられず、相手の価値を引き下げることで、自分と同じか、あるいはそれ以下の位置に置こうとする試みでもあります。
このような人たちは、自分が正しいと思い込みやすく、他人の感情に十分配慮できないまま自己中心的に考えてしまうことがあるといいます。その結果、言葉で人を傷つけても、まったく罪悪感を感じない場合があるようです。
このような人が身近にいるなら、感情の消耗が大きいでしょうから、会話を最小限にするのも一つの方法です。その人の一方的で無礼な言動に対して、感情的に動揺したり、過度に意味づけしたりしないことが大切です。できるなら、一定の距離を置いて生活することも、精神的な健康を守るために良いと言えます。
しかし、傷つける人を遠ざけることで問題に巻き込まれず、自分の平安を守るという考えだけでは、前向きに生きる成熟したイエス・キリストの弟子らしい姿だとは言いがたいでしょう。むしろ、傷ついた癒し主として歩まれた主イエス様にならい、弱さを抱える人と向き合う実践として「ほめる」ことこそ、他者との関係を幸せに変える秘訣だと思います。
傷つける人をほめることは簡単ではありませんが、効果的にほめるためには次のようにしてみてください。ただ「よくやった」と言うよりも、何をよくやったのかを具体的に伝えましょう。結果よりも過程(努力や態度)をほめるのが良いです。そして、ほめ言葉は先延ばしせず、すぐに伝えるのが効果的です。「明るくあいさつしてくれてありがとう」のように、一見当たり前に思えることをほめると感動となって返ってきます。
また、ほめ言葉は多くの人の前で公に伝えると、認められているという感覚が生まれ、より効果的です。ありきたりな外見のほめ言葉よりも、行動や人格をほめるほうが効果的でしょうし、ほめるときに「〜すればもっと良いのに」と条件を付けるのは避けましょう。さらに、ほめた後にその人を非難することは決してしてはいけません。
ほめ言葉は人の潜在能力を引き出し、前向きな行動を後押しし、人間関係を深める強力な道具です。自信を育み、動機づけや肯定的な自己形成を助け、家庭や牧場の共同体の中で信頼と協力を促してくれます。お互いに褒め合う歩みを大切にしていきましょう。
趙 南洙師
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一般的に、年を取ってから主イエスを信じるということは、決して容易なことではないと言われています。なぜなら、高齢になってからイエスさまを信じようとする場合、長い年月をかけて形づくられてきた人生観や価値観が、短期間で大きく変わることは簡単ではないからです。イエスさまを信じると信仰告白をした後、多少の変化は見られるものの、時間が経つと変化が見られなくなったり、その歩みはゆっくりであることも少なくありません。これは自然なことです。数十年にわたって身につけてきた自分の考え方を、一朝一夕で改めることは難しいからです。そのため私は、そのような人たちがイエスを信じるようになったという事実だけでも、本当にありがたいことだと思っています。
その結果、教会の働きが高齢者よりも若者の方に偏りがちになっているように思われます。変化の少ない大人よりも、変化の多い若者に投資するほうが、効率的だと考えられるからです。しかし、年を取っているからといって、簡単に諦めることはありません。恵みを受けて変えられ、神の国にとって欠かせない存在として歩んでほしいと願っています。
では、年を重ねてからイエスを信じるようになった人々は、どのようにすれば信仰が成長し、人生が変えられ、神の前に尊い働き手となることができるのでしょうか。第一に、従順になる訓練をする必要があります。年配の人は、人生経験が豊かであるがゆえに、自分なりの考えを大切にしてきた方ほど、他人の意見に耳を傾けることが容易でない場合があります。信仰生活においても、自分の哲学を無意識のうちに手放しにくくなることがあります。しかし、人生においてはベテランであっても、信仰生活においては初心者であるという事実を認め、先に信仰を持った人々の言葉に耳を傾け、従順になる訓練が求められます。そうするとき、信仰が成長し、霊的にも成長していくのです。
第二に、仕える習慣を身につけることです。年配の人は、若い人たちが自分に仕えてくれることを期待してしまうことがあります。しかし、イエス様のように低い立場で仕える訓練を積まなければ、イエス様に似た者となることはできません。イエス様に見倣おうとしない限り、信仰は成長しません。イエス様は仕えられるために来たのではなく、むしろ仕えるためにこの世に来たのだと語られました。ですから、仕え、もてなす訓練を日頃から重ねる必要があります。
年配の方々の中で、継続的に信仰の成長が見られる方々を見ると、多くの場合、隣人によく仕えていることが分かります。高齢になってから主イエス様を信じようとする際、これは信仰生活の課題となることがあります。そのような人々は、この事実を認め、若者以上に努力することを願っています。
趙 南洙師