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 すべての教会がそうとは限りませんが、上流層の人が多く集う教会であればあるほど、信仰的なエゴが強いという話を聞きます。一時期、アメリカや韓国で教会に通うことが流行し、富裕層に属するたくさんの人々が集う現象がありました。イエス様の言葉の中に、富を持つ人であればあるほど、イエス様を信じることが難しいという話もあるので、ある意味このような現象はとても良いことだと言えるかもしれません。
 しかし、残念ながら裕福なクリスチャンの場合、教会の内と外で全く犠牲を払おうとしない傾向があるそうです。教会の中で自分にとって益となることだけを求めて、犠牲を払おうとしない姿勢です。時には、教会の奉仕すべてをお金で解決しようとし、自分の体や時間に関わることではケチしようとする方がいます。
 このような話を聞くたびに我が教会の信徒の方を考えますと、とても貴重で誇りに思います。大変なことにも積極的に模範を示す牧者ご夫妻、いつも厨房で労を惜しまない姉妹の方々、力がいるところでいつも仕えて下さる兄弟の方々、子どもの面倒を見ると落ち着いて礼拝を捧げられないのにそれでも仕えて下さる方々、このように自分を惜しまず仕えて下さる方を思うと、改めて我が教会に対する喜びと自慢したくなる心が燃えあがります。
 私たちが健康的な教会の姿を持ち続けるために覚えなければならないのは、仕える姿勢を失わないことです。奉仕は、イエス様を信じるすべての人が持つべき基本の姿勢であると言えます。しかし、人によっては犠牲の伴う奉仕を避けようとします。自分の時間と物質的なものをまず確保して、その後時間的な余裕やお金が余る時、良い機会があれば自分の面子を立てようとして奉仕してみようと考えます。また、教会に来たついでにできる、具体的な自己犠牲を伴わない奉仕だけをしようとします。
 ですが、必ず覚えてください。神様は犠牲を伴う奉仕を覚え、特に、目立たない小さな奉仕にこそ大いなる報いを与えてくださいます。ですから、小さなことでも犠牲の伴う奉仕であるならば、自ら進んで、喜びを持って仕えてみてください。このような姿こそ、神に喜ばれることであり、また私たちが神の祝福を豊かにいただく道であります。

趙 南洙師



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 新たな年が始まり、もう1月最後の主日となりました。全信徒の皆さんにこの牧師と我が教会のために、「趙牧師をはじめとする全ての教職者に、ヨシュアのような、強く、雄々しく、神様だけにより頼む霊的な力が与えられ、全信徒が神の働きを体験できますように。」と祈ってくださることを願います。ところで、神の働きを体験することがどういうことか、具体的には以下のような体験を指します。
 第一に、救ってくださる神の働きです。神様に関心がなく、敵対していた人が神様に関心を持ち始め、主イエスを受け入れることは神の働きがなければ不可能なことです。牧場において神の働きを体験することは、このように魂が救われることです。
 第二に、変えてくださる神の働きです。人の意志や努力を通して、他人を意識するように表面的な行動を変えることはできますが、心そのものを変えることはできません。私たちの欲求や生き方を根本的に変えられるのは、ただ神の力によるものです。心が変えられる体験ができることを祈ります。
 第三に、祈りに答えてくださる神の働きです。神様はその御名を信じて、祈るなら祈りに応えてくださると約束されました。ですから、牧場では共に心を合わせて祈ることを通して、あらゆる面で神の働き(奇跡)を体験しなければなりません。
 第四に、癒してくださる神の働きです。医学的に治療が難しい病や、心理カウンセラーや精神科の医師も癒せない精神的な病があります。しかし、家族と教会の祈りを通して、これらの病も癒してくださる神様を体験しなければなりません。
 第五に、聖い御霊様の超自然的な働きです。家の教会は新約聖書が教える教会の姿を回復しようとする信仰の共同体です。したがって、家の教会を通して新約聖書が教える姿が見えることを願わなければなりません。悪霊を追い出し、不思議な異言で祈り、みことばを通した預言が語られ、知恵と知識のあるみことばによって霊性が深まるといったあらゆる賜物が体験できなければなりません。
 最近黙想し続けているヨシュア記は、日常の中で神の働きを体験したイスラエルの民による歴史的な記録です。神様が彼らの人生を通してどのように働かれたのかを見ている私たちは、今日においても生きて働かれる神様を私たちの人生を通して体験しなければなりません。

趙 南洙師