品川で集まるニューコミュニティチャーチにはウェブサイトで教会を検索して繋がった方々が多くいます。 その中には教会を訪れる前に私の説教を数本(もしくは数十本)聴いてから来られた方々も少なくありません。時々私の語る説教を聴いてメールや電話を通し、褒めて下さる方々がいます。私はもちろん人間的に嬉しくても、その反面、そんな誉め言葉に重荷を感じることが良くあります。それは以下のようなケースが良くあるからです。 

 私の“互いを愛する”と言う説教を聴いてある人々は期待感を持って私たちの教会に来ました。‘私たちもそんな共同体を求めていたのです!’と言わんばかりに、すぐさま教会の人々と関わり始めます。最初はとてもスムーズに見えるのですが、大体問題は数か月後に見え始めます。それは、この教会はまだ説教で語られていた理想的な互いを愛する共同体でないと言うことが明らかになるからです。人間的に見れば弱さばかりが目立つ人々がいたり、教会の人々同士に抱えている葛藤を目のあたりにすることで霊的試練が襲って来ます。さらに追い打ちをかけるかのように、‘この牧師も全然思っていたほど理想的ではない’と気づきます。そして思うことでしょう、‘なんだ、この語っている理想とのギャップは?!’と。  

 私も正直な思いを言うと、自分自身牧会をしながら同じことを思うことはしばしばあります。でも、一つ確実に言えることは、私が過去に経験した教会どれも理想に近い教会はありませんでした。思えば常に信徒同士にトラブルが生じたり、リーダーシップの中にはにらみ合いが続いた教会が良くありました。しかし、そんな中、霊的に成長し続けた教会を見ると一つの共通する特徴がありました。それは、今は理想でなくても主のみ言葉と向き合い、理想を目標として常に悔い改め、また愛することを実践しようと意識(努力)した教会です。教会にとって重要なのは現状より、進んでいる方向性かも知れません。現状を見れば誰でも失望しますが、信徒たちが皆向いている方向性を見ると希望がわいて来ます。 

 皆さん、教会は罪人が集まる病院です。牧師も例外ではありません。“私は完全に聖化した人間です”と言える人は教会の中に誰もいないからです。だから、私たちは教会に通う全員が福音によって悔い改め、いつも新しくされて行くことを願っています。そう言った面で私たちの教会は正しい方向に進んでいるでしょうか?皆さん自身も、理想の目標に向かって着々と進んでいますか?もしそうであるなら、私たちの5年、また10年後は楽しみにしつつ共に歩み続けましょう。 

チョ・ドリュー師

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 17世紀イギリスから純粋な聖書信仰を守るために清教徒たちは命をかけてアメリカに渡ります。そこから彼らは聖書を土台にアメリカと言う国の基礎を築いていきます。そして、今もアメリカの南のバイブルベルトは70-80%がクリスチャン人口だと知られています。しかし、そんなアメリカも20世紀の世俗化によって今ではクリスチャンだと主張する人たちがもはや聖書的信仰に立つより自分勝手な信仰に迷い出ている現状があります。今年、コロナ禍の中でアメリカの保守的な信仰を代表するLigonierミニストリーが数千人のクリスチャンたちを対象にアンケートを行いました。結果は以下のように出ました。

  • イエスキリストは神ではなく、素晴らしい教師であった。(30%がYESと答えた)
  • 誰でも小さな罪は犯すがほとんどの人は良い心を持つ(46%がYES)
  • 神は人の良い行いではなく、イエスキリストにある信仰で人を救われる。(84%がYES)
  • 神はイスラム、ユダヤ教やキリスト教の宗教の礼拝を全て平等に受けられる。(42%がYES)
  • 人の性別は個人の選択である。(22%がYES)

 20世紀前半アメリカのキリスト教を襲ってきたのは自由信仰の波でした。 当時もっとも聖書に忠実と知られていたプリンストン神学校で徐々に聖書が完全なる神の言葉ではなく人間が書いた書物として扱われるようになり、またキリストが処女マリアから生まれたのは迷信だと言う学者たちが次々と登場しました。この流れがここ100年アメリカ全土に及ぼした影響は大きいものがあります。 

 私が21世紀に牧会をしながら肌で感じているのは、この世の中にはいろんな種類(変質した)の信仰を持つ信徒たちが本当に多いと言うことです。最近はあまり教会に繋がらず個人で信仰を守る人も少なくありません。インターネットでいろんな宗派の背景を持つ牧師たちの説教を聞き、自分なりにキリスト教思想を築き上げる人たちもいます。そして、いろんな考えが混同するようになり霊的にかなり迷う人たちも少なくありません。私たちはもう一度聖書の基礎に戻る必要があります。教会は聖書を組織的に教える必要があり、真理を持って信徒たちを守る必要があります。私たちの教会がこれからも自由神学から守られることを常に祈っています。 

チョ・ドリュー師