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 10年前に紹介した「ダニエル断食」を改めてご紹介します。皆さんが共に参加してくださることを願います。信仰者が神の前で断食し、祈るとき、神様はそれを喜ばれ、断食する私たちの中で新しいみわざを成してくださいます。
 具体的な例として、バビロンに捕囚されたダニエルは、バビロンの偶像によって自分の信仰を汚さないために、神の前に決意を立て、野菜だけを食べながら、一日に三度エルサレムの神殿の方に向かって祈りました。このダニエルの断食は、彼自身だけでなく、共に捕らえられていた友人たちや民族を生かす新しい歴史を生み出すきっかけとなりました。
 聖書にはさまざまな断食の形が記されています。一日断食、二日断食、三日断食、四十日断食があり、水さえ飲まない断食もあれば、水は飲みつつ行う断食、またダニエルのように肉を含む主食を断ち、野菜のみを食べる部分的な断食もあります。
 これまで私たちの教会は、毎年受難週を迎えると三つ撚り特別早天祈祷会を行い、大きな恵みを受けてきました。そこで一つご提案があります。明日から始まる受難週(3月30日~4月4日)の特別早天祈祷会を、ダニエルのような断食をもって迎え、復活祭を迎えてみてはいかがでしょうか。
 特別早天祈祷会の6日間は、肉を含む主食(ご飯やパン)を断ち、野菜中心の食事で過ごし、みことばに集中し祈る一週間として、主を黙想してみてください。一週間続けるのが難しい方は、朝食だけでも野菜や果物、あるいはジュース一杯にして、断食に参加してみてください。
 また、これまで特別早天祈祷会の期間中に提供していた朝食も、野菜やバナナ、ジュースなどの飲み物のみにして、一定期間、野菜中心の部分的な断食(ダニエル断食)を実践してみたいと思います。
 さらにこの一週間は、仕事に必要なネットを除き、その他のインターネット使用も控えてみるのはいかがでしょうか。もちろん、YouTubeやゲーム、娯楽、テレビドラマなども断つことをおすすめします。
 その代わりに、聖書を読んで黙想し、祈りのパートナーと祈祷課題を分かち合い、共に語り合いながら祈る時間を、より多く持ってみてください。
 「わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか(イザヤ書58:6)。」

趙 南洙師



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 「祝福」という言葉は、誰かが幸せになるように願うという意味です。幸せを与えてくださる神様に「○○に幸せにしてください」と願うことが祝福です。つまり、祝福とは人が人のために神様に願うものです。
 したがって、「神様、○○を祝福してください」という言い方は、意味としては「神様、○○が祝福を受けるように祈ってください」となり、ややわかりにい表現になります。なぜなら、祝福の源であられる神様は、誰かに「この人が祝福を受けるようにしてください」と頼むお方ではないからです。神様は幸せを与える創造主です。
 ですから整理すると、祝福とは、人が人のために神様に幸せを願うことです。「私はあなたを祝福します」という言葉は、「あなたのすべてのことがうまく行きますように、神様があなたを幸せにしてくださるように祈ります」という意味になります。ゆえに「神様、○○を祝福してください」というよりも、「神様、○○を幸せにしてください」と祈ることがよりわかりやすいでしょう。
 一週間後にある受難週(3月30日〜4月4日)の三つ撚り特別早天祈祷会が、互いに祝福し合う機会となることを提案します。特に子どもと一緒に礼拝堂に来て、「神様、この子を幸せにしてください」と神様に祈ってほしいと思います。なぜなら、私たちは子どもに祝福を与えられる存在ではないからです。なぜなら、私たちは子どもに最善を尽くすことはできても、その子の人生に祝福を与えることのできる存在ではないからです。祝福は神様が与えてくださるもの、いや、そのお方こそが祝福の源なのです。
 祝福の言葉と祈りを受けて育った子どもと、そうでない子どもの人生には大きな違いが生まれます。子どもは親の言葉の実を食べて育ちます。親が習慣的に口にする小言や不満の言葉を聞いて育つ子どもは、その影響を受けやすくなります。特別早天祈祷会に子どもを連れてきて祝福の祈りをしてあげることが、子どもにとっては一つの「行事」に見えるかもしれませんが、この一週間、子どもたちを思いきり祝福してあげてほしいと思います。
 そしてこれをきっかけに、これからは私たちの家庭の中で、愛する家族を祝福する言葉が川の流れのようにあふれるようになってほしいと願います。私たちの幸せを願っておられる神様は、私たちの言葉を用いて働いてくださることを、どうか忘れずに歩んでいきましょう。

趙 南洙師