先週は、私たちの教会が設立した学校(GCA)で、アメリカのキリスト教学校連盟(ACSI)の認定を確認するために来られた方々をお迎えし、審査を受けることになりました。神経を使いながらとても忙しい日々を送りました。「仕事はやってもやっても終わりがない」という言葉が、まさに自分のことのように思われます。あらゆる面で足りなさを感じますが、それでも多くの信徒の皆さまの祈りに支えられ、与えられた務めを果たしていることに感謝しながら過ごしています。
10月にはアメリカを訪問しますので、ぜひお祈りください。10月5日(日)には、ニュージャージー州にあるグレイス・コミュニティ・チャペル(GCC)の創立20周年記念礼拝と1週間にわたる特別行事に参加し、説教奉仕をすると共に、宣教協力についても話し合う予定です。GCCは18年前から私たちの教会と協力しており、藤島マサオ宣教師ご夫妻をはじめ、私たちの学校に多くの教師を派遣してくださったGO NETWORKの母体教会です。今後さらに宣教協力が深まることを願い、訪問することになりました。
もう一つ重要な訪問目的は、10月12日(日)に行われるアメリカ改革教団の牧師按手式に出席することです。非常に厳しい論文試験と数回にわたる面接を通過し、合格された藤島マサオ宣教師が、この機会に牧師として按手を受けられます。ご一緒に出席できない皆さまもぜひ祝福の祈りを捧げてくださると信じています。
さらに、10月16日から22日までは、ベタニー教会の創立40周年記念礼拝と特別行事に参加し、説教奉仕をすると共に、日本宣教への献身者をリクルートする大事な働きがあります。ベタニー教会は、かつて私を通して神の恵みを受けたというある兄弟の紹介で、2年前に訪問したことがあります。その時以来、ベタニー教会は私たちの学校で困難を抱える学生のために奨学金を献金してくださるようになりました。今回の訪問が、さらに具体的な宣教協力へと発展する機会となることを期待しています。
そのようなことはないと信じていますが、主任牧師が不在であることを理由に、主日礼拝や牧場集いをおろそかにすることのないようお願いします。ヘブル人への手紙10章25節の教えのように、信仰のない人々のように集まることをやめるのではなく、むしろさらに熱心に集まる教会となるように力を尽くしてください。皆さまの祈りの中で私のことを覚えてくださり、私の霊性と健康のために祈ってください。主がこのアメリカの教会訪問をさらに祝福してくださると信じます。
趙 南洙師
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ずいぶん前に、E.M.フォースターの小説を原作にした「ハワーズ・エンド」という映画がありました。物語は、結婚の時期を逃していた一人の独身女性がようやく愛する人と出会い、結婚しようとするところから始まります。ところが、結婚の準備が整ったその時、主人公の妹から急な知らせが届きます。ある貧しい青年と恋に落ち、妊娠してしまったというのです。結局その主人公は、妹を助けるために結婚式を取りやめ、愛する男性を後にして妹のもとへ駆けつけました。その場面を見て、私は妹に対して強い怒りを覚えました。やっと幸せの入り口に立った姉の人生を、無責任な行動で台無しにしてしまったからです。ところが突然、雷のように気づかされました。私がそこまで怒っているのは、その妹と自分の娘を重ね合わせていたからでした。つまり、「もし自分の娘が映画の妹のように、結婚もせずに妊娠したらどうするだろう」と想像して感じた怒りを感じたのです。
その時ふと「私は子どもに何を期待しているのだろう?」と考えました。私は子どもたちに平穏な人生を歩んでほしいと願っていました。平坦な道を進み、良い学校に進学し、良い職業に就き、良い人と出会って、幸せに生きる人生を願っていたのです。しかしそのような人生には、予想外の失敗や試練が全く考慮されていませんでした。
けれども、特別で偉大な人生には必ず逆境や試練があるものです。では、親が子どもに対して「失敗のない平凡な人生」を強要する権利があるのでしょうか?そう思ったとき、私は子どもに対する過度の心配から自由になろうと決心しました。子どもには失敗し、挫折を味わう権利があると認めることにしたのです。もちろん、失敗や過ちを避けられるように教えることも必要ですが、子どもの人生を過度にコントロールするのではなく、もし失敗してもそれを益に変えられるよう助けるだけにしようと決めました。
親が子どもの失敗を恐れるのは、それで人生がすべて台無しになるのではないかと心配するからです。しかし、過度に恐れる必要はないと思います。子どもに聖書が教える確かな信仰を根付かせているなら、たとえ成長の過程で失敗をしても、すべてを働かせて益とされる神様が、その人生を壊れたまま放っておかれることはないからです。
親の務めは、子どものことで過度に焦燥感を抱くことではなく、その将来を神様の御手に委ね、絶えず祈り、信仰の模範を示すことだと思います。
趙 南洙師
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