2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
0
『新約聖書の原則をつかみましょう。』 牧師コーナー(642)
旧約聖書は、神に選ばれたアブラハムの子孫たち、すなわち信仰共同体としてのイスラエルの民の姿を現す教会の影だとしたら、新約聖書は、イエス・キリストにより救われた神の民が、世界の果てまで拡大していく姿、つまり実際的な教会の姿を現していると言えるでしょう。ですが、新約聖書で記されている教会は、組織として順風満帆なものではありませんでした。
新約聖書に描かれている教会は、主イエスの弟子だったペテロのように「あなたは生ける神の子キリストです(マタイ16;16)。」と告白する人々の集まりでした。彼らは食卓を共にし、使徒の教えを受け、祈り、人生を分かち合い、再び来られると約束した主のみことばを信じて待つことを生きる喜びとしていました。
とはいえ、彼らに「教会はこのような組織であり、このように運営していくべきです。」といった具体的なマニュアルが与えられていたわけではありません。ただ信じる者たちが家で集まり、そこに共におられる神の霊(聖霊)の導きとみことばに従って生きた時、新約教会の姿が完成したのです。
私たちが「家の教会」を形成する理由は、新約聖書で教会の始まりの姿が「家の教会」だと教えているからです。有名なジョン・ストット(John Stott) 牧師が書いた「ローマ書講解」の序文を見ますと、ローマ書は使徒パウロが「ローマにある家の教会 (House church)へ書いた手紙」だったと説明しています。私たちは毎週、礼拝堂で共に礼拝をささげていますが、これは「家の教会」が連合した共同礼拝であり、家で集まる「家の教会」が基本なのです。
なぜなら、「教会を建てます」と宣言された主イエスの望まれる教会は、家族共同体だからです(マタイ12:49-50) 。家族共同体となるために、信じる人々が家で集まるのは当然でした。そして神の霊(聖霊)が家族共同体の中に激しく下り、ノンクリスチャンも彼らの愛によって心が動き、教会はますます拡大していったのです。4世紀、ローマのコンスタンティヌス大帝がキリスト教を国教とした時、当時ローマ市民権を持った人の半数がクリスチャンだったという驚きの歴史の記録があります (The Rise of Christianity)。
新約教会がローマ帝国を変えたのは、武力による力ではなく、愛と喜びによる犠牲の力でした。今日を生きる私たちが、このような新約教会の姿を回復することができるなら、愛と喜びによる犠牲の力によって世を変え、神の国が拡大していくと確信しています。これこそ私たちの教会が「家の教会」を形成し続ける理由です。
新約聖書に描かれている教会は、主イエスの弟子だったペテロのように「あなたは生ける神の子キリストです(マタイ16;16)。」と告白する人々の集まりでした。彼らは食卓を共にし、使徒の教えを受け、祈り、人生を分かち合い、再び来られると約束した主のみことばを信じて待つことを生きる喜びとしていました。
とはいえ、彼らに「教会はこのような組織であり、このように運営していくべきです。」といった具体的なマニュアルが与えられていたわけではありません。ただ信じる者たちが家で集まり、そこに共におられる神の霊(聖霊)の導きとみことばに従って生きた時、新約教会の姿が完成したのです。
私たちが「家の教会」を形成する理由は、新約聖書で教会の始まりの姿が「家の教会」だと教えているからです。有名なジョン・ストット(John Stott) 牧師が書いた「ローマ書講解」の序文を見ますと、ローマ書は使徒パウロが「ローマにある家の教会 (House church)へ書いた手紙」だったと説明しています。私たちは毎週、礼拝堂で共に礼拝をささげていますが、これは「家の教会」が連合した共同礼拝であり、家で集まる「家の教会」が基本なのです。
なぜなら、「教会を建てます」と宣言された主イエスの望まれる教会は、家族共同体だからです(マタイ12:49-50) 。家族共同体となるために、信じる人々が家で集まるのは当然でした。そして神の霊(聖霊)が家族共同体の中に激しく下り、ノンクリスチャンも彼らの愛によって心が動き、教会はますます拡大していったのです。4世紀、ローマのコンスタンティヌス大帝がキリスト教を国教とした時、当時ローマ市民権を持った人の半数がクリスチャンだったという驚きの歴史の記録があります (The Rise of Christianity)。
新約教会がローマ帝国を変えたのは、武力による力ではなく、愛と喜びによる犠牲の力でした。今日を生きる私たちが、このような新約教会の姿を回復することができるなら、愛と喜びによる犠牲の力によって世を変え、神の国が拡大していくと確信しています。これこそ私たちの教会が「家の教会」を形成し続ける理由です。
趙 南洙師