川崎 教会 とりなしの祈り 家の教会

2023年 年間標語 「リバイバル・アゲイン」(ハバクク3章2節)


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『成熟さへの戦い』 牧師コーナー(396)

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未熟な人の特徴は、すべての基準をもっぱら自分自身に置くことです。彼らは何をしても、どこへ行っても、ただ一つの基準によって物事を決めます。自分にとって楽か否か、不便かどうかです。自分自身にとって楽ならば良い、不便なら悪いのです。ある集会に参加するか決めるときも同じ基準で考えます。自分が気楽にいられるかが参加可否を決める基準になります。

未熟な人は他人とのお付き合いの時や会話の時も同じ基準を用います。自分自身に気楽な人なら受け入れ、そうでなければ遠ざけます。このような未熟さは自分が神のようになりたがる堕落した人間の本性から現れる心理現象とも言われています。

聖書は、善悪の基準は創造主なる神様のみにあると教えています。しかし被造物である人間は自分自身が善悪の基準であると考えます。ですから、未熟さは堕落した人間の本性を最もリアルに現していると言えます。何でも自分自身が基準になり良し悪しを判断し、楽と不便、参加と不参加、了解と不了解を判別する権威を振りかざします。このように未熟な状態のままでいるとどうなってしまうでしょう。

未熟なままでいる限り、その人が神様に用いられるのは難しいだろうと思います。自分勝手に振る舞う人が他の人を受け入れ、その人に仕えることが大変難しいからです。何よりも周りの人々がその人のそばに近づかなくなり、その人も他の人を苦しめていくでしょう。

ですから私たちは成熟し、大人の信仰を持つべきです。成熟さは自分の気楽さを基準とはしません。自分に不便さがあっても相手を配慮し、自分が苦しんでも共同体を支え、立てるのが成熟です。今まで誰かが何かしらの不便を我慢してあなたを支えてきたはずです。彼らは苦しみの中でもあなたを支えてくれたと思います。その支えを思い出し、心から悟るべきです。彼らが自分勝手で気楽にあなたと関わってきたなら、あなたは今までやってくることができたでしょうか。これらのことを吟味し、深く悟ることが成熟さへの出発であると思います。
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