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 多くのクリスチャンたちは、新約聖書で「主の日」と呼ばれている日曜日を、働くことをやめて体を休める日、つまり文字通りの「安息日」として理解しているようです。確かに神様が安息日を定められたとき、「七日目は、あなたの神、主の安息である、あなたはいかなる仕事もしてはならない」(出エジプト記20:10)と命じられました。その理由は、神様が六日の間に天地を創造され、七日目に休まれたため、その日を祝福し、聖なる日とされたからです(出エジプト記20:11)。
 私たちが知っているように、神様は天地万物を創造されたあと、六日目に人間を造られました。順序から見れば、人間は創造されてすぐ、神の七日目を迎え、何もしない「神の安息日」を守ることになったのです。それは人間が六日間働いて疲れたから休むという意味ではありません。むしろ、自分たちが享受しているすべてが、神様の創造によって与えられたものであることを覚える日だったのです。
 安息日制定に関するもう一つの教えは、申命記5章12節以降にあります。「安息日を守ってこれを聖なるものとせよ。あなたの神、主が命じたとおりに。」(申5:12)。そして、なぜ安息日に働いてはならないのかという理由が続きます。「あなたは自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、主が力強い御手と伸ばされた御腕をもって、あなたをそこから導き出したことを覚えなければならない。そのゆえ、あなたの神、主は安息日を守るように、あなたに命じたのである」(申5:15)。つまり、神様がイスラエルの民をエジプトの奴隷状態から解放(救い)してくださったことを覚える日だったのです。
 ですから、罪のない人間としてこの世に来られた主イエス様は、十字架の上で全人類の罪を背負い、血を流して死なれ、その代価を払うことで、罪の奴隷であった私たちを解放(救い)してくださいました。そして、その救いが確かなものであることを示されたのが主イエスの復活でした。その復活の日こそが、安息日の翌日、すなわち日曜日だったのです。新約時代のクリスチャンたちはその日を「主の日」と呼びました。罪によってもたらされた死のくびきを打ち破られたイエスの復活こそが、真の安息を実現された出来事だったのです。だからこそ、主イエス様は「安息日の主」であると呼ばれるのです(マルコ2:28)。私たちは、日曜日を「主の日」として覚えなければなりません。日曜日は土曜の夜遅くまでメディアに没頭した後、ゆっくり寝る日ではありません。約束された聖霊が臨まれ、教会が誕生した主の日(日曜日)だからこそ、新しい被造物として再創造された私たちは、その神を覚え、礼拝をささげながら、真の安息を味わって生きるべきなのです。

趙 南洙師



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 先週は、私たちの教会が設立した学校(GCA)で、アメリカのキリスト教学校連盟(ACSI)の認定を確認するために来られた方々をお迎えし、審査を受けることになりました。神経を使いながらとても忙しい日々を送りました。「仕事はやってもやっても終わりがない」という言葉が、まさに自分のことのように思われます。あらゆる面で足りなさを感じますが、それでも多くの信徒の皆さまの祈りに支えられ、与えられた務めを果たしていることに感謝しながら過ごしています。
 10月にはアメリカを訪問しますので、ぜひお祈りください。10月5日(日)には、ニュージャージー州にあるグレイス・コミュニティ・チャペル(GCC)の創立20周年記念礼拝と1週間にわたる特別行事に参加し、説教奉仕をすると共に、宣教協力についても話し合う予定です。GCCは18年前から私たちの教会と協力しており、藤島マサオ宣教師ご夫妻をはじめ、私たちの学校に多くの教師を派遣してくださったGO NETWORKの母体教会です。今後さらに宣教協力が深まることを願い、訪問することになりました。
 もう一つ重要な訪問目的は、10月12日(日)に行われるアメリカ改革教団の牧師按手式に出席することです。非常に厳しい論文試験と数回にわたる面接を通過し、合格された藤島マサオ宣教師が、この機会に牧師として按手を受けられます。ご一緒に出席できない皆さまもぜひ祝福の祈りを捧げてくださると信じています。
 さらに、10月16日から22日までは、ベタニー教会の創立40周年記念礼拝と特別行事に参加し、説教奉仕をすると共に、日本宣教への献身者をリクルートする大事な働きがあります。ベタニー教会は、かつて私を通して神の恵みを受けたというある兄弟の紹介で、2年前に訪問したことがあります。その時以来、ベタニー教会は私たちの学校で困難を抱える学生のために奨学金を献金してくださるようになりました。今回の訪問が、さらに具体的な宣教協力へと発展する機会となることを期待しています。
 そのようなことはないと信じていますが、主任牧師が不在であることを理由に、主日礼拝や牧場集いをおろそかにすることのないようお願いします。ヘブル人への手紙10章25節の教えのように、信仰のない人々のように集まることをやめるのではなく、むしろさらに熱心に集まる教会となるように力を尽くしてください。皆さまの祈りの中で私のことを覚えてくださり、私の霊性と健康のために祈ってください。主がこのアメリカの教会訪問をさらに祝福してくださると信じます。

趙 南洙師