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 先週のコラムでも触れていますが、世界的キリスト教弁証学者だったラビ・ザカリヤスが数十年に渡って数多くの女性と不適切な関係を持った事実は、世界中にいるクリスチャン世界に大きな衝撃を与えました。自分のクリスチャン団体から、ある女性には子供の学費や生活費を与えながら関係を求めた、と言う事実はあまりにも信じがたいものでした。この事実が発表され一番指摘されたのは、“なぜ誰も彼を監視下におけなかったのか?”と言うことです。つまり、彼が出張先で何をしていたのか、団体の資金をどのように使用していたかなど、なぜ彼はそんなに簡単に、皆から自分の二重生活を隠すことが出来たのでしょうか?この答えはシンプルに答えられるものではありませんが、一つ言えるのは普段から人生を分かち合い、自分の弱さと罪の傾向を分かち合う関係(accountability)が不足していたからだと思います。
 ヤコブ5:16では「互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい」とあります。正直、これは自分が普段性的ファンタジーを持っていることを教会の皆に言いふらすことではありません。罪を言い表すことは、分かち合う対象、適切なタイミングと場を見極めてする必要があります。また、これは自分の罪を言い表しても、続けてその関係性に亀裂が起きることなく、信仰生活が共に送れると言う信頼関係を前提にしていることです(ガラテヤ6:1)。その信頼関係を築き信仰の友情を育むためにも時間が必要とされます。そして、やっと、“私の信仰は揺れている”、“私の妻への愛はもう冷めている”、また“人を赦せず、憎しみはその人を殺したいほどになっている”など本音で自分の罪深さと弱さを吐き出すことが出来ます。教会内の集まりで正直ここまで赤裸々に明かす人はいないでしょうが、それでも自分が今かなり罪の葛藤を覚えていることを表せると思います。信頼する信者たちは一緒に祈り、聖霊の助けを求め、一緒に悔い改める時間を持ち、また福音の力によって罪と戦う決意をして行くのです。
 牧師でさえ、このような関係がないのであればどこかで二重生活が始まり堕落して行く可能性は高いです。牧会上、教会信徒には正直に言えないこともありますので、信頼し祈るパートナーを求め他教会の牧師たちとわかち合うことがあります。なぜ聖書は互いの罪を言い表し祈りなさいと命じていますか?それは、救われているクリスチャンでも一人で罪に打ち勝つことは出来ないからです。だから、一緒に戦うように教会と言う共同体を与えて下さいました。あなたは本当の自分を人々に知られていますか?知らせていますか?逆に面倒だと言いながらそんな関係を避けてはいませんか?これを可能にさせる教会文化は、家の教会、また同姓同士の交わりの中で互いに裁くことをやめ、まずは愛で互いを包むことであります。人は裁かれたり嫌われると思うと本音を語らなくなるからです。理想な間系を作るのは無理かも知れませんが、聖書が映し出す信者同士の関係を目指していく教会になれることを祈ります。

 チョ・ドリュー師

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 先週まで西洋のキリスト教は、去年亡くなった超大物弁証学者Ravi Zachariasが性的罪を通して200名にあたる女性たちに被害を与えたことで大騒ぎとなっていました。彼のような存在に失望を覚える人は少なくありません。そんな中、先週と今週日本でもLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー)を容認する宣伝がネットで数多く出ているのを見ました。驚きではありませんが、徐々にこの新しい価値観は教会にも大きな被害をもたらすことを思うと心が痛みます。全世界でも既に百以上の教団がLGBTの立場を認めており、日本で約1700教会が所属している一番大きい教団である日本基督教団はLGBT牧師たちを容認する立場を公に発表しています。この世は、そして教会はどのように変わって行くのでしょうか?
 2008年、私はソウルでLGBTに関するセミナーを行いました。その時既にアメリカやヨーロッパの教会はLGBTとの戦いが激しい時でありました。でも、東アジアの教会員たちは、ほとんどが無関心だったのです。でも今はそんな無関心であり続けることは出来ません。皆さんはこれからLGBTの人が牧師になっても良いと思いますか?あなたの子供をロッカールームでも指導する教師がバイセクシャルでも良いでしょうか?あなたの子供に道徳を教える教師がトランスジェンダーでも良いでしょうか?今、この世は“それは良くない”と答える人を“差別する野蛮人”だと呼び始めています。アメリカで実際にあったことを挙げると、“結婚は神によって男と女の間にある聖なるもの”だと主張する教会に対し、教会を爆破するという脅しがありました。LGBTはこの世の問題だけではなく、社会運動や政治的プレッシャーを通して、教会で聖書が語る“性”を語れなくさせています。
 10年後私がYouTube動画にLGBTは聖書的ではないとする説教を載せると世のバッシングは今の10倍になることでしょう。危険なのは、クリスチャンだという人たち中に”LGBTの人々は神がそう造られたので認めるのだ”と主張する人たちです。このような人はこれから増えて来ると思います。はっきり言いましょう。教会はLGBTの人々を愛し福音を分かち合うべきです。しかし、彼らが主張する世界観と価値観を聖書的なものだと認め、容認するのは教会の堕落に繋がります。グローバル時代を生きる私たちには覚悟が必要です。聖書は今の時代を解釈する神の言葉です。決して時代のレンズを通して聖書を理解しようとするのは避けなくてはなりません。将来、私たちにどんな害があったとしても真実を守り続ける教会になることを願います。

 チョ・ドリュー師