日本語の週報 ダウンロード↓↓

4er450db

韓国語の週報 ダウンロード↓↓

4433430db
 日本でもコロナに対するワクチン接種が3月から始まると言うニュースがあります。暗いトンネルにようやく光が見えたと言う感じでしょうか。感染を心配することなく信徒たちと共に食卓の交わりが出来ることもとても楽しみの一つです。でも、心配される点も多くあります。アメリカのQ3 Unstuck 教会報告の調査によると、コロナが終わっても20%の信徒たちは戻らないことを予想しています。“ネット生配信で礼拝が捧げられるならコロナが収まってもわざわざ礼拝堂に行く必要性を感じない”と言う声が次々と上がっているようです。でも、感謝なことに、コロナ禍でも直接礼拝に参加するために礼拝会場まで足を運ぶ方々がいます。何を求めて人々は教会に来るのでしょうか?
  ①神の臨在を求めて来るーネット生配信の礼拝だと賛美や聖書の御言葉など、内容(情報)は全て得られるかも知れません。でも、空気に流れる温かい熱気や感動を直接体験することは少ないでしょう。野球の試合をテレビで観ていても、競技場で見るのとは明らかに違います。イエスキリストは、「二人か三人がわたしの名において集まるところにはわたしもその中にいる」(マタイ18:20)と仰いました。人々がわざわざ教会に足を運ぶ理由は、実際に神の臨在と聖霊の働きを体験するためです。
  ②コミュニティを求めて来るー私は仕事で一週間に平均10―12時間以上ZOOMでビデオ通話をします。でも、どんなにZOOMで話していても、直接会って話すことと比べると親近感は落ちます。何か一緒に時間を過ごしていても、その存在感によって満たされることは非常にまれなことです。人は交わるために造られているので、必ずコミュニティの必要性を感じます。私の話を誰かに直接聞いてもらうことや、誰かと触れ合うことを大事に思うからです。コロナが収まっても必ず教会はネットを通してでは伝わらない温かい愛のコミュニティを提供し続ける必要があります。
③本当の霊性を求めて来るー世界中でここ20-30年一番の成長を遂げた教会は会衆を楽しませる(entertain)教会だったそうです。礼拝がクールで、エキサイティングで、楽しませてくれる教会には新しい人々が集まっていたと言うことですが、2020年はそのような教会では礼拝参加数は激減したそうです。教会専門家の Carey Nieuwhofは、その代わりに教会はイエスキリストとの関係を重視し、弟子を作ることに集中すべきだと言います。つまり、エンターテインメントで人々を引き付けることは以前より難しいと予想します。代わりに、本物の霊性を通して人々に本物のキリスト教を見せるべきだと言うことです。
 専門家たちがもうポスト・コロナ時代を語るようになっています。私たちはポスト・コロナの時代をどう準備して迎えられるでしょうか。それは信仰の基礎に戻ることです。共にこれからも用いられる教会になっていきましょう。 (参考資料:Careynieuwhof.com)

 チョ・ドリュー師

日本語の週報 ダウンロード↓↓

4er450db

韓国語の週報 ダウンロード↓↓

4433430db
 クリスチャンが他人を愛することの出来る原動力は神の愛です。また他人を赦せる原動力も神の赦しにあります。そして、私たちが他人をもてなし仕えることの出来るのも、イエスキリストが私たちのために亡くなられ、永遠の相続を下さったので出来ることです。クリスチャンのエンジンを動かす燃料は神の恵みです。工場のベルトコンベアで毎日8時間ひたすら荷物の仕分けをする人に取ってそれは退屈な仕事です。でも、この同じ人が仕分けされた荷物を宛先まで届け、それを受け取った人の喜ぶ表情を見たとしましょう。その後、この人はベルトコンベア業務へのやりがいを増すことになると思います。同じ様に、私たちの行動と奉仕が主を喜ばせる働きであることを覚える時、私たちの奉仕もいきいきして来ます。つまり、もっとやりがいのある奉仕をするために、私たちはいつも主の臨在の中(礼拝やデボーション)に入る必要があると言うことです。なぜなら、そこで生きている主に満たされる経験をし、また霊的に充電され、この世に出て行くことが出来るからです。
 時々、新しく教会に来られる方で、最初から奉仕のやる気満々の方がいます。でも、不思議にもそう言う人に限って礼拝中に良く居眠りをする光景を見ます。そういう信徒たちは半年もしない内に奉仕に対するやる気が半減しているのを見ることがあるのです。その人に何が欠けていたのかは明らかです。礼拝やデボーションによって満たされることがなかったと言えます。牧師であっても、神と個人的な時間を過ごすことがなければ、心に触れる説教準備をすることは出来ません。常に主を賛美し、祈りを通して主に近づくことによって、霊性が保たれ他人に仕える力を得ることになります。本日の説教でも出て来る話ですが、正直主の臨在に満たされることのないまま奉仕に走る人はマルタのように不平不満の多い奉仕者になるでしょう。礼拝なしには喜びの奉仕は続かないからです。
 奉仕者は、常に人間の意志や力に頼って奉仕をしないことが重要です。なぜなら奉仕者の原動力は神様ご自身から来るからです。ですから、奉仕者はいつも主が私のためにして下さったことを黙想し賛美します。心の葛藤があっても主の温かい臨在によって希望を見出し回復されていくのです。それが長年奉仕を続ける秘訣になります。今、奉仕に疲れを覚えている人がいるなら、まずは主との交わりである礼拝の回復を目指しましょう。

 チョ・ドリュー師