日本語の週報 ダウンロード↓↓
4er450db

韓国語の週報 ダウンロード↓↓
4433430db 創造主なる私たちの主は、いと高き方であり全ての栄光と誉れを受けるに等しい方です。 礼拝とは英語でWorshipと言いますがそれは元々Worth“価値”のあるものを褒め称えることから由来しています。 私たちが毎週礼拝を捧げるのは主の素晴らしさを讃えることであり私たちにとっては喜びの時間です。
 イスラエルがエジプトから救われたことも主を礼拝出来る民になるためでした(出エジプト8:1)。天国を見上げると新約教会がこの世から召されたのは、主を共に褒め称えるためだと知ることが出来ます(黙示録5:11、7:9)。私は良くバスケットボールのスーパープレーを見た時、“凄い!”と言いながら一人で熱狂する時があります。皆さんも、自分が好きなスポーツ選手やもしくは俳優がテレビに映る時に一人で応援したい気持ちで心が高まることがあると思います。これらと比較するには次元の違う話ですが、天の御座の前で主を賛美する天使たちは“聖なる聖なる聖なる、万軍の主!”に見惚れて無我夢中で賛美をしているのが分かります。
 皆さんが偉い人の前で歌の発表をするならどんな備えをするでしょうか?また皆さんが偉い人にプレゼントを渡すならどんな用意されたものを捧げるでしょうか?私たちの賛美や御言葉を聞く姿勢は、全て私たちの造り主の価値を表すものであります。礼拝に関して詩篇33:3は、主に賛美するときは“巧みに弦をかき鳴らせ”と言う表現があります。巧みとは英語でSkillfully(技術を上げ)と言う訳になります。“主に技術の高い賛美を捧げなさい!” だからと言って私たちが皆プロのように演奏し、歌うべきだと言うことではありません。でも、それぞれがベストを尽くして礼拝に備え、捧げる必要性を教えてくれる箇所でもあります。なぜなら、主はそれ以上に価値のある方だからです。礼拝堂での礼拝に戻る方々、また続けてネットで礼拝をする方々、今一度私たちの礼拝の姿勢を整えましょう。
 これだけいと高き方が2000年前、御子イエスキリストとしてこの地上に来られました。そして、その価値あるいのちを捨て私たちを永遠の裁きから救って下さいました。この方こそ私たちの礼拝を受けるに相応しい方であられます。 ‘私が捧げられるベストな礼拝とは何か’を考えて見ましょう。特に、礼拝奉仕に携わる奉仕者たちももう一度その仕える姿勢を整えて見ましょう。礼拝受付、案内係、賛美チーム、PAチーム、また御言葉を準備する者が皆主の栄光をあらわす礼拝を備え、捧げられることを願います。

チョ・ドリュー日本語の週報 ダウンロード↓↓
4er450db

韓国語の週報 ダウンロード↓↓
4433430db 先週テクノロジーを友達にしようとコラムを書きましたが、今週は一つだけ注意すべきことをお伝えします。インターネットは今では日常に欠かすことの出来ないとても便利な道具になっています。しかし、インターネットにはいろんな落とし穴があります。もちろんネットでニュース記事を読んでいると私たちをいろんな方向に誘惑する記事や宣伝が沢山あります。正直子供を持つ親としては一日も早く、国がこれらを厳しく規制することを願っています。でも、インターネットのSNSはもう一つの危険性を持っています。それは誤解、自己嫌悪、また他人への怒りを覚えることの出来るツールになることです。
最近のスマホはほとんど通知機能があり、メールが飛んでくるとすぐに音と共に知らせてくれます。専門家によると、テキストメッセージやショートメール、またFacebookのコメント通知音は私たちの体を少し興奮させるアドレナリン物質のあるドーパミンを放出するそうです。つまり、誰かから連絡が来ること自体に、何らかの肯定的な反応を見せることになると思われます。Facebookで私たちの友達が‘いいね’を押してくれたり、また励ましのコメントを残してくれたりするのはとても心の癒しになります。でも、もし誰かが皆さんを批判するメールやコメントを載せたとしましょう。皆さんの心はどうなると思いますか?最初は“そんなこと気にしない!”と思いながらも、どうしても気になるのがネット上の記載です。それは不思議に一度読んで、二度三度考えさせる効力があるからです。だから、これらの受け取り方によっては人を自殺に陥れるような衝動まで与えるのです。
最近日本のリアリティー番組の女優が自分の命を絶ちました。報道によるとその主な原因は視聴者たちから寄せられた批判の投稿に苦しんでいたことだと言います。なぜ人はそれだけネット上の人々の評価に左右されるのでしょうか?人には皆“認められたい”、“好かれたい”と言う欲が非常に強くあります。クリスチャンであっても、SNSで自分が言ったことをスルーされたり、Facebookでも誰も‘いいね’を押してくれないことに非常に気を落とす人もいるでしょう。しかし、私たちがまず覚えるべきことは、‘私たちはイエスキリストにあって、神様に完全に愛され、完全に受け入れられた存在である’と言う事実です。インターネットが普及される前の時代は神の愛、また家族や周りの友人の愛情だけでも幸せを感じたかも知れません。でも、今ではSNSで皆から愛されなきゃいけないと言うような妙な空気があります。もちろん、SNSを通して私たちは主の愛を分かち合うべきです。でも、それにあまり期待しすぎると私たちの自我EGOは酷く傷つきます。皆さん、インターネットSNSを正しく使うには福音メッセージを離さないことは重要です。そしてインターネットを自分のアピールして人々から愛されるツールと言うより、愛と祝福を与えるツールとして使って行きましょう。

チョ・ドリュー