今日の説教では奉仕分担について語ります。エペソ4:12を見ると牧師の役目は信徒を整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためだと教えています。教会が一番健康的になる時は信徒たちがそれぞれの賜物を出し合う時だと思います。私自身の信徒時代を振り返ると主に3つのパートで教会奉仕をしていました。一つは賛美チーム、小グループリーダー、また子供たちを教える働きです。
高校生の時から賛美チームでギターを弾き、下手な歌声でバックアップとして歌っていました。大学に入っては教会で賛美リードをしたりベースギターを演奏する日もありました。私にとって賛美リードをすることは喜びであり、他の信徒たちの励ましもあり、大学生時代は私もその賜物を磨くことが出来たシーズンでした。今になって自分の賛美生活が満たされているのも過去にこのような奉仕経験があったからだと思っています。
そして初めて人をケアする役目(小グループリーダー)が与えられたのは大学2年生の時でしたが、この時人生初めて教会生活をしながら自分以外の人のために真剣に祈る習慣を付けることが出来ました。その前は、自分さえ恵まれ満たされれば良いという思いで礼拝に参加していました。しかし、自分に任された小グループメンバーが与えられた途端に、彼らの霊的成長に関心を持つことが出来たのです。これは私が牧師になる約10年前のことですが、今考えるとこれは初めて私に任された牧会の奉仕でありました。その時もっと責任感を持って牧会心を磨いていたら今ではもっと成熟した牧師になっていたことだと思いますが、その経験さえなかったら私は他人をケアすることなど全く分からないクリスチャンのままでいたかも知れません。
また、大学4年生の最後の8ヵ月間はキッズCSを教える奉仕をしました。今でも覚えているのは、私が聖書の話を一生懸命していても小学生たちは全然理解しきれてないような表情を浮かべていることです。そして、その時初めてメッセージは人が理解するようにすべきだと気づかされました。
今思えば、私が信徒時代にした奉仕が無駄になったものは何一つないと言うことです。それ以上に、私が少しずつ霊的に成長出来たのも奉仕を通してだと感じています。皆さんも自分が持っている賜物を持って教会の奉仕に挑戦して見て下さい。小さいことからでも良いので教会がもっと活気づくために、そして教会がもっと主が望まれる教会になれるように皆さんも是非力を合わせて行きましょう。
チョ・ドリュー師
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私は2007年の夏から2011年の終わりまで、韓国ソウルにあるサラン教会で教職スタッフを務めました。サラン教会は弟子訓練を韓国やいろんな国々に広げたことで知られている教会です。そこでは1年目に32週間の訓練があり、また2年目には34週のミニストリー訓練があります。それを修了すると小グループリーダーになります。私は実際そこで、献身的で模範を示す素晴らしいリーダーたちを見て来ました。今でもその時代を懐かしく思うことはしばしばあります。そして、2011年の秋に初めて私は家の教会セミナーを通して、教室内で行われる弟子訓練ではなく、現場実習的な弟子訓練について聞かされました。私はサラン教会の弟子訓練を良く分かっていました。そして、サラン教会が行っている弟子訓練が忠実になされていれば、家の教会が教えている ‘現場実習を伴う弟子訓練’ と非常に似ているものになると考えています。結局のところ、私たちが目指している弟子訓練は、聖書知識だけを詰め込ませるものではなく、イエスキリストの心と人格を見習う人を育てることです。
皆さんは霊的にアンバランスな人を見たことがありますか?聖書知識はあるけれど、人格の成熟度においてはまだ赤ちゃんのような人がその一例です。あるいは人柄は良いけど、聖書知識が全くないと言う人もいます。後者の場合、周りの人々には好かれるかも知れませんが、神のみことばを持って人々を救いへ導いたり励ますことは出来ません。人がイエスの弟子らしくなって行くのは、この両側面においての成長が必要です。私たちの教会で提供している道コースや他のシリーズで行われている勉強会は聖書知識を育てます。そして、牧場の集まりは、学んだことを実践(もてなす訓練、人の話を聞く訓練、人を愛する訓練、赦す訓練、また励ます訓練など)する場所です。ですから私たちが考える弟子訓練は、定期的に牧師と1対1で会ってメンタリングをしてもらうと言う概念ではありません。牧師や信徒リーダーによる聖書勉強会を通して聖書を学び、また牧場を通して人生を分かち合い、仕え合うことで訓練されると言うものです。
本日の説教を聞いても分かるように、イエスキリストは聖書を教え、現場実習を通して弟子たちを訓練されました。新約聖書から初代教会を見ても、①彼らは使徒たちの教えを守り、②交わりを持っていた(使徒2:42)ことが分かります。私の説教力やコミュニケーションが不十分なことから、私たちの弟子訓練がどのような概念なのか、まだつかめていない方もいると思います。そんな方は是非、次回開かれる聖書勉強の機会に遠慮なく聞いてください。これからも私たちの教会がもっとイエスの弟子らしくなり、信徒たちが訓練され用いられていくことを願います。
チョ・ドリュー師
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