伝道者の書4:12「一人なら打ち負かされても、二人なら立ち向かえる。 

三つ撚りの糸は簡単には切れない。」

皆さんは過去に遊園地などにある幽霊屋敷に入ったことがありますか?私が最後に入ったのは大学2年生の時でしたが、高校時代の友達5人と一緒に6人で入ったため、怖かった記憶より陽気にそのスリルを楽しんだ感じがありました。ですが、もし若者が一人ずつそこに入ったならどうなることでしょう。夜9時を回った暗い夜にそんな不気味な場所に一人で入るとなると、“絶対一人ではいや!”と言うのが普通だと思います。私たちには一人で出来なくても一緒に行くなら立ち向かえるものは沢山あります。信仰生活もそうです。一人で信仰生活をしている人は、信仰が病んだ時に助けてもらえる人が周りにいません。自分が教会に長い間通ったけれども誰とも親しい関係を結ばなかったとしましょう。そして、やがて重い病気にかかった時に突然精神的に頼れる人を探すかも知れません。しかし、普段から一人で歩んだ人は、そんな時に教会の誰にも相談出来ず、結局は一人でその病気と闘うことになるかも知れません。もちろん教会内にはとりなし祈ってくれる人やお見舞いに来てくれる人もいると思います。ですが、実際にあなたの友達になり心の支えになる人はそういないかも知れません。

信仰生活をする私たちにとって重要なのは、‘私が打ち負かされても’私を真の友達として助け支えてくれる人は誰がいるだろうか、と言うことです。もし長い間教会生活をしながらそんな人が誰もいないのであれば、私たちは人生を寂しく独りぼっちで歩んでいるようなものです。明日から始まる三つ撚り特別早天祈祷会は、教会内で友情を深めることの出来る大きなチャンスです。互いに祈り課題を分かち合い、霊的に互いを支え合う経験をするには良い機会です。ただ牧場で言われたから特別早天祈祷会に参加するのではなく、‘どうしたら、この兄弟/姉妹の良き信仰の友になれるだろうか’を目指して来ていただければと思います。 

皆さん、イエスキリストは完全な方でありながら、この地上において一人では歩まれませんでした。いつも身の周りに弟子たちを同行させて、互いに愛し仕え合うことを教えられました。そして、宣教旅行に行かせる時もグループで行かせました。それは、信仰生活自体が一人で戦うものではないことを良く表しています。私たちの良き友達となって下さったイエスキリストの愛を覚え私たちも良き信仰の友になっていきましょう。

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4433430db毎年この時期になると、町中の装飾や様々なお店の雰囲気がハロウィン一色になります。ハロウィンは元々2000年ほど前にケルト人(今でいうヨーロッパ圏の人々)が秋の収穫感謝祭の時に‘作物の生命が生まれるところに、悪霊も一緒に入ってくる’というような考えがあり、悪魔を追い出したり悪魔の恰好をしたりして悪い霊から自分を守る、という考えから生まれたお祭りです。諸説ありますが、基本的にはキリスト教とは関係のないイベントです。

教会としてシンプルに‘悪魔のお祭りだから参加したらダメだよ’と言われてそれを忠実に守ってきた人がいると思います。私の個人的立場としては、避けられるのであれば避けるのが良いと思います。ですが昨今の現実的な課題として、ただ律法的に‘ハロウィンはダメなもの’ と言い切れない時代になってきました。学校や職場やお店など、町全体、社会全体がハロウィンを意識する環境になってきたからです。ハロウィンを100%否定するのであれば関連商品の置いてあるお店、学校や職場ですら行けなくなってしまうでしょう。幼稚園や小学校などで気が付かないうちに‘ハロウィンに関連した遊びをしてみましょう’ ということが社会行事として教えられる時代になっているのです。

多くのクリスチャンは‘渋谷や川崎等で開かれる大きなイベントには参加しなければ、お祭り気分を味わったりする程度であれば自由ではないか?’このように考える人がいます。若い人ですと、‘クリスチャンとしての信仰があれば、仮装も節度がある中で自由にしてもいいのではないか?’と考える人もいます。実際に昨今のキリスト教の中でも意見が分かれます。‘悪魔のお祭りだから絶対にダメ’という立場と‘現代においてはお祭りとして見ているだけで、遊ぶのは自由である’という立場です。教会内でも各家庭の信仰が問われていると思います。

ではどう対応したらよいでしょうか?それは‘ハロウィンのプログラムに参加することによってイエスキリストの栄光が現わされていますか?’という一つの質問に集約されるでしょう。もし本来の秋の収穫をお祝いするという意味で考えるのであれば、教会で食事会を開いたりゲームをして遊んだりするほうが健全ではないかと思います。どうしても‘ハロウィンで周りが遊んでいるから私も楽しみたい!’と思うのであれば、教会でキリストを覚えた楽しみを企画したほうが良いと思いませんか? 何事においても私たちを通してイエスキリストが輝くことになるように祈っています。

―吉村恵理也師― 日本語の週報 ダウンロード↓↓
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