2019年7月から礼拝順が少し変更される予定です。 7月から品川のNCC東京と招待キリスト教会が同じ礼拝順を持つわけですが、招待に取って一つ変わることは‘準備賛美’が無くなる部分です。 準備賛美とは、礼拝が正式に始まる前に10-15分歌う賛美のことです。 準備賛美の時間は礼拝の場に先に着いた人たちで心を礼拝に備え歌うと言うような認識があり、その時間内は礼拝奉仕者たちが最後の打ち合わせをしていたり、また信徒同士が挨拶を交わす様子も準備賛美ならではの光景になっています。 しかし、不思議なのは‘準備賛美’の歴史を辿ると聖書どこにも書かれてないことが分かります。 

今まで伝統的な韓国教会に多く見られる傾向がありましたが、それは本番の礼拝が始まる前に数分前から心を一緒に準備しましょうと言う思いで準備賛美が行われていました。 時には教会総会や集会の前に講師が到着するのを待つためとか、時間稼ぎのようにも準備賛美が行われていたようです。 だから信徒たちの中には、準備賛美は礼拝ではなく、本番前のウォームアップだから、そんなに重要ではないと言う認識が定着してきた部分もあるようです。 こんな中私たちがすべき質問は、“この賛美は誰のために捧げているものなのか?”と言うものです。 礼拝時の賛美種類にウォームアップの賛美と本番の賛美が存在し、それらは質的に違いがあるのか?と言う質問もすべきだと思います。 礼拝時賛美する時の私たちの心はいつも主に向けられる愛と感謝で一杯になるべきではないでしょうか? 

だからと言って今までの準備賛美が全く恵みのないものだと言うわけではありません。今まで多くの方が準備賛美を通して主の臨在を体験し励まされたことは間違いありません。 しかし、残念だったのは、準備賛美が会衆が4分の1しかいない時の賛美になったり、準備賛美中おしゃべりや携帯をいじっている様子も目立ち逆に主を驚き仰ぎ見るべき賛美の時間が軽蔑されてしまう所です。 そう言った意味で、もう一度主に捧げる相応しい礼拝をするために2019年7月から準備賛美は無くし、正式に礼拝の始めと共に新聖歌とワーシップソングを選曲し歌っていければと思います。 今までのスタイルに慣れている方々もいるかと思いますが、これが主の栄光をあらわすものであると思い一緒にこの変更に備えていければと願います。 日本語の週報 ダウンロード↓↓
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4433430db最初に私が神学校に行ったのは2003年の話です。 神学校で説教学のコースは、必須クラス1つと説教実践の機会のある選択肢の小預言者クラス1つを取っただけです。ですから説教についてそれほど深く学んだとは言えないと思います。しかし私が今、説教で実践している原理は、ほとんどがこの必須クラスで学んだことであります。その中でも私が受け取った最も重要とされる3つは、1)“あなたは毎回説教する時にキリストを伝えるのですPreach Christ every single time you preach”、2)“あなたが教えようとするのではなく、聖書箇所が会衆に語るように説教しなさいLet the text speak for itself”、3)“テーマ説教は年に数回して、普段は講解説教をしなさいPreach expositional sermons”と言うことでした。

18-19世紀のアメリカの神学の流れを見ると、奴隷制度を正当化するために聖書を偏った視点で見るような時代もありました。 21世紀に入ってはゲイ・レズビアンを正当化するために、「ダビデとヨナタンの友情やイエスと12弟子の関係は、互いを愛するゲイ関係であった。」と主張するグループが登場しています。 正直、聖書を部分的に切り取って説教するなら、何とでも言えるのが聖書です。 中には「神などいない」と無神論者が語る箇所もあります。ですから説教者にとって重要なのは、いつも自分が選びだした説教箇所から語るのではなく、‘与えられた箇所’から語ることです。毎日の早天祈祷会で、日々のみことばから説教されることは、そう言った意味で霊的に非常に健全的と言えます。長い系図もスキップすること無く、そのみことばが語る意味を考えさせられますから。 

私は聖書全体が神の御心を語っていると信じています。ですから、牧師となって、もう10年以上経ちますが、牧師のキャリアーを通して聖書66巻全てからバランス良く説教出来ればと願っています。66巻の全ての章節を語るのは100年かかっても無理かも知れませんが、許されることなら全部やりたいと思います。そう言った意味で今、毎週やっている出エジプト記シリーズは意味があります。説教者が誰であれ、その日のために決められた箇所から説教者が神のみことばを語るからです。もちろん大体1章の内容をカバーしなければならないので全ての適用点に触れることは出来ませんが、その箇所を通して神が何を啓示なさろうとしたのかを分かち合うことになります。聖書の66巻のうち、一巻を決めて順番で講解説教をして行くのが、教会にとっては牧師が語りたがる箇所やメッセージを聞くのではなく、一番神の御心を知ることの出来る方法なのです。説教者の説教は、聖書を用いて自分が語りたいことを語る(Agenda Driven Sermons)のではなく、聖書が語ることを研究し、伝えることが真のメッセンジャーです。 これからも皆さんと一緒にみことばから教えられることを期待しています。

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