ある田舎の町には素晴らしい景色の渓谷があります。そこには噂を聞いてくる多くの 観光客でいつも賑やかでした。ある日、水深が深く流れが激しい場所で一人の観光客が足を滑ってしまい渓谷に落ちてしまいました。そのままでは命が危ない状態になって いましたが、誰も渓谷に落ちた人を助けようとしませんでした。その時、旅中の一人の男が自分の身を投げ、落ちた人を救出することができました。この光景を見ていた人々は歓声をあげながら彼の献身をほめ、その町の人々は彼に尊敬の意を表しました。しかし残念ながらその次の日も、もう一人の人が渓谷に落ちてしまいました。再び彼は渓谷に飛び込み、

人命を救助しました。 素晴らしい人命救助に感動した町の人々は自分たちの気持ちを集めて、彼の生活を 支えることにしました。そして可能ならその町の人命救助隊の責任を担ってくれるように お願いしました。彼もいつかは責任を担うべき人が必要であると認識したので、自分が その町に住みながらその責任を担うことになりました。

この救助隊員が町の人々から尊敬されている姿を見ていた町の若者たちの中で、興味を持っていた数人が訪ねて来てその仕事を学ぶ事になりました。時間が経ち、建物が建ち、 看板も上げ、朝から晩まで人命救助の理論を熱心に教えました。全てが整えられ、 システム的に安定していました。しかし相変わらず以前のように渓谷に飛び込む人は 絶えませんでした。

この物語は今日の教会に聞かせる皮肉な教訓であると思いますが、わが教会は冷静に 聞き給わるべきだと思います。わが教会は過ぎた32年の間、リバイバルを経験して 来ました。ところが最近は教会が上手く回るシステム構築の大事さを認識し、自分たちの 価値を認められたいという雰囲気が根強くなった気がします。以前のように献身的な奉仕の姿勢が弱くなっている今の様子に息苦しさまで感じております。

増殖すべきなのに予備牧者が立てられない状態が続きます。教会の存在目的である 魂の救いのために献身する信徒が見えなくなり、悲しみを感じます。再び心燃やされる ように祈りたいです。魂の救いによる証が全牧場から聞こえるべきです。魂の救いのために献身する信徒が再び起こされるべきです。 隣人を助けるほとんどのリーダーたちが経験している悩みは祈りと行動の問題であると思います。誰かのために祈っているけど、何の変化も見えない場合があります。この時、 ただ祈り続けて待つべきなのか?それとも、直接お会いして具体的な助言をすべきで あるのか?という悩みです。キリスト教の中にも二つの考え方があります。一つは祈りつつ神様に委ねなさい、神様がなさるという立場です。もう一つは祈りだけでいいのか? 行動しないと、祈りだけでは、まるで果実の木の下に横になって果物が落ちるのを待って いることと何が違うだろうかと言う立場です。

実は、祈りと行いはいつも一緒にあるべきものです。ここに私たちの悩みが あるわけです。いつまで祈り、いつから行動してよいのか?という問題です。そして 行動してもいつも良い効果があるわけではありません。時には逆効果になる場合も あります。その時は、自分の祈りが足りなかったのか?まだ時ではないのに慌てたのか? 個人的なプライバシーに介入しすぎたのか?このようなさまざまな思いがするわけです。

結論から言いますと祈りと行動し介入することの境界線はないのです。人によって、 信仰のレベルと助言を受け入れる程度が違うので、それぞれの状況によって違うだろうと 言うしかありません。ここに私たちの霊的緊張があり、霊的に見分ける霊性が 求められるのです。

私は、まず誰かの信仰に決断が必要だと感じた時、特別の期間を定めて集中して祈ります。祈っている間には一切行動しないで神の時を待ち望みます。今なら話しても大丈夫だろうと判断がついた時、その人にアドバイスをします。しかし一度話したとしてすぐ人が変わる わけではありません。ある人には何の効果もない場合もあり、厳しい場合は反発したり、 少ない事例ですが教会を離れてしまう場合もあります。この場合は悩み落ち込みますが、 充分祈ってからアドバイスしたので神様に委ねることにしています。祈りだけにして 何もしないままでいるより良いと思っております。このように行動するのも信仰に よるものであり、祈りの延長線上にいることと信じるからです。それにもかかわらず、 祈りと行動し介入することの境界線を定めるのは大変難しいし、行動しても、どのような 方法で、どの線まで介入して良いのか?いまだに牧師である自分にも課題として 残っています。 日本語の週報 ダウンロード↓↓
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4433430db「見よ。わたしが新しい事を行う」という主のことばと共に新しい一年が始まりました。主がどのような新しい事を行われるか知りたくなりですが、私は今執り行うべき事に ただ忠実に生きるのが何よりも重要であると思っております。

すでに知っておられると思いますが、わが教会の信徒は牧場での奉仕と教会での奉仕を通して、共にキリストのからだを建てあげると信じ仕えています。言い換えれば牧場での 役割と教会での役割があると理解しております。

牧場の奉仕については牧者たちを通して分かち合って下さい。今日はわが教会に 求められる奉仕についてご案内し、共に仕えることを期待しております。

教会の奉仕者は 1、2部礼拝ごとに必要な奉仕があり、同時的な奉仕の役割もあります。良く理解し、共に 仕える奉仕者が多く起こされますよう期待いたします。奉仕チームの名称は任意(仮称)でつけてみました。 教会ホームページ管理チーム(4名)・ 礼拝映像制作チーム(5名) 放送支援チーム(7名)・ 言語別通訳チーム(6名)・ 会堂施設管理チーム(8名) 賛美礼拝チーム(10名)・ 新来者定着チーム(6名)・ 財政管理チーム(5名) インテリアチーム(7名)・ 駐車管理チーム(5名)・ 事務行政チーム(5名) とりなしチーム(5名)・ 海外宣教チーム(5名)・ ハンディ支援チーム(5名) 道コース支援チーム(6名)・ ビジョン企画チーム(7名)・ 慶弔支援チーム(7名) 教会学校教師チーム(10名)・家の教会チーム(7名)・ 次世代支援チーム(7名) マラナタ伝道チーム(5名)・NCC支援チーム(5名)・ 教訓練院支援チーム(5名) 牧会支援チーム(5名)・ ディボーションチーム(6名)・ 写真記録チーム(3名) 英語ミニストリーチーム(4名)・ 医療支援チーム(5名)・ 伝道支援チーム(10名) など、あげられた事以外にも多くの奉仕があります。

願わくは、わが教会の会員信徒ならお客さんとしてではなく、必ずどこかの奉仕チームに入り、活動するようにお願いします。奉仕は使命でもありますが、忠実に仕えた人々には 約束された素晴らしい主の祝福が与えられるのも大きな喜びです。奉仕の仕えによる証が 溢れるこの一年になりますよう心より期待いたします。