私の記憶によりますと2008年度教会総会にて、その年の教会標語を 第二テモテへの手紙3章12−17節に基づいて「備えよ。次世代を」と決議したと 思います。振り返ってみるとそれから10年という年月が経ちました。

次世代を備えることは数年のうちにその実績を確認できることではないと 思いますが、その間にわが教会が次世代の備えのために、どのようにして来たのか、 自己点検をして中間評価をまとめて見るべきではないかと思われます。

若者を育成する理念のもとで「ダニエル・プロジェクト」を企画し、若者を 支援する指定献金を集め、具体的に一部の若者でありましたが奨学金の支援を 行い、選ばれた若者たちにリーダーシップ教育を実施し、海外の宣教地を訪問し、奉仕とともに現地との交流によるチャレンジを受けるためにアメリカ、韓国、 中国など、短期ミッション・ボランティアとして送り出して訓練をして来ました。

そして幼い子どもたちのために、放課後の英語クラスの運営を通して、 広い世界へのコミュニケーションのために英語教育を支援する働きを継続して 来ました。特に、キリスト教のキャンプ参加費用を支援して健全な信仰の 若者として育てるために努力して来ました。このような支援の働きはいまも 継続している教会の重要な働きになっているので心より感謝しています。

しかし、次世代を備えることが一時的なプロジェクトで終わってはいけないと 思います。次世代の育成は教会が関心を持って持続的に推進し発展させるべき 大事な課題です。

以前より多くの子どもが各教会学校に参加していますし、若者たちが成長して いる姿に感謝しておりますが、いまの状態に満足してはいけないと思います。

若者を育てるためにもっと関心を持ってください。教会学校の間だけでなく、 特に牧場においても若者を育成することに関心を持って、具体的に支えてくださるようにお願いします。若者のために一緒に時間を過ごしてください。若者たちを 家に招いて美味しいものを食べさせながら彼らの悩みを聞き、ご自身の経験談も 話してください。若者は私たちの明日であり、わが教会の未来であるから。 日本語の週報 ダウンロード↓↓
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4433430db犠牲とは、国家、家族、他人のある目的のために、自分のものを捧げたり放棄したり 奪われることを意味する言葉です。犠牲は強制されることもあります。本人の望みとは 関係せず、国家や団体により強制的に、尊い自分の命を捧げさせられる場合があります。 心痛い歴史ですが、神風特攻隊のようなものがその一つと言えます。

しかし自ら犠牲する場合もあります。誰かによる威圧ではなく、自らある目的のために、自分の権利や主張を放棄することです。このような犠牲は多くの人々のためであり、 みんなに感動を与えます。その犠牲に感動された人々は、自分のために犠牲してく ださった方の美しさを覚えることになり、その犠牲に答えたい気持ちになるのは当然で あり、自然であると思います。

去る、主日午後より月曜日夕方まで、わが教会にて「アメイジング・タッチ」という 初めて開催する集会がありました。集会の全プログラムはアメリカ・シアトルにある 「兄弟韓国人教会」の信徒たちが準備し、進行を担ってくださいました。引率の牧師を 含めて24人の兄弟姉妹たちは、自分たちの職場から1週間の休暇を得て、また、 自己負担の多額の航空料とホテル代まで払う犠牲をして私たちを尋ねてくださいました。

一ヶ月前より参加者のお名前を覚えて断食して祈ってこられたと言われました。集会の 参加者たちは直接自分たちの目で見て感じましたが、彼らは私たちのためにすべての 飾り道具や小道具、そして私たちが食べるおやつまで準備し、アメリカから運んできました。これらは私たちの想像を絶する犠牲でありました。

参加者49人のわが教会の信徒たちはただ涙しか出ないまま、皆がこのような感動を 告白し、自分の人生を顧みる決断の時となりました。「60年の人生のうちにこんなに 愛されることは夢にも思わなかった」「神の愛がどのようなものであるかわかった」 「受けることばかりしていた愛を、これから分け与えたい」。

そうです。犠牲は感動を作り出し、感動が人を決断させ、そしてその人生を変えさせます。感動のある人生、感動を与える人生は自らの犠牲により経験するものです。犠牲こそ この世を変えるパワーです。 日本語の週報 ダウンロード↓↓
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