以前、ひどいヘビースモーカーなのに、「健康に良い」と言って梅ジュースを好んで飲んでいる人に会ったことがあります。その梅ジュースがどれほど健康に役立つのかは分かりませんが、その人を見ながら、「そんなに健康を気にしているのなら、梅ジュースを飲む前に、まずタバコをやめた方が良いのではないか」と思ったことがあります。
 私たちは数多くの広告や情報の影響を受けながら生きています。健康食品についても、それをどれほど摂取すれば本当に健康に役立つのか正確に知ることは簡単ではないにもかかわらず、いつの間にか健康食品が自分の未来を守ってくれかのように期待してしまうことがあります。お酒やタバコをやめ、規則正しく運動することが、健康を考える上で基本的な土台であると言えるでしょう。それにもかかわらず、そのような基本的なことを無視し、枝葉末節のことに気を取られてしまうことが多いのです。
 ダイエットも同じです。食生活を整えることが基本的な方法です。それにもかかわらず、土台を後回しにして、「肉だけ食べて炭水化物を避ける」とか、逆に「炭水化物は摂って脂肪だけ避ける」など、偏った極端な方法に期待してしまうのを見ると、残念でもあり、恐ろしくも感じます。
 しかし、この「本質よりも枝葉末節に集中してしまう現象」は、信仰生活においても見ることができます。主が与えてくださった最も大切な戒めが二つあります。神様を心と体と精神を尽くして愛すること、そして隣人を自分自身のように愛するという「大戒命」と、魂を救い弟子を作るという「大宣教命令」です。
 神様と隣人を愛しなさいという、神の明確なみこころがあるにもかかわらず、「神のみこころがよく分からない」と悩む信徒たちや、「魂を救って弟子を作ることが大切であるのに、どのように奉仕すれば良いのか分からない」と悩んでいる人たちを見ると、本当にもどかしく感じます。本来大切にすべきではない枝葉的なことに集中し、方向を見失っているように思えるのです。
 だからこそ、私たちは枝葉末節なことに縛られるのではなく、明確な神のみこころに立ち返る必要があります。大戒命に目を向けるとき、多くの人間関係が整えられ、大宣教命令に目を向けるとき、奉仕の方向もはっきり見えてくると思います。

趙 南洙師



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 연약한 우리들은 예수님을 믿어도 자기 자신의 감정적인 어려움에 부딪칠 때가 있습니다. 특히 친밀한 교제를 나누는 목장 안에서 느끼는 불편한 감정은 어느새 작은 불씨가 되어 목장 분위기를 얼어붙게 하고, 사소한 오해가 큰 갈등으로 번지기도 합니다. 이때의 감정을 표면적으로 드러난 부분만 다루려고 하면, 문제는 해결 되지 않고 오히려 더 깊은 어려움을 남길 수가 있습니다. 왜냐하면 그 감정의 밑바닥에는 상처라는 쓴 뿌리가 숨어 있기 때문입니다.
 대부분은 감정적인 불편함이 있을 때, 옳고 그름을 따지거나 뒤에서 비난하며 문제를 더 키우는 경우가 많습니다. 그러나 불편한 감정은 단지 내면 속에서 일어나는 더 깊은 문제를 알려 주는 ‘경고등’으로 바라 봐야 합니다. 목장 식구 중 누군가가 불편한 감정을 드러내고 있을 때 가장 먼저 해야 할 일은 그 사람의 말을 끊지 않고 공감 하며 끝까지 들어 주는 것입니다. 자신의 감정을 충분히 표현 할 수 있는 것만으로도 문제가 어느 정도 해결 되고 감정의 실체를 스스로 인식할 수 있기 때문입니다.
 감정 뒤에는 반드시 뿌리가 있습니다. 분노, 서운함, 두려움은 대부분 과거의 상처, 죄책감 혹은 왜곡된 관계 경험에서 비롯 됩니다. 목장 식구들이 반복적으로 비슷한 감정 문제를 겪는다면 이 감정을 처음 느낀 건 언제 였었는지, 이 감정과 비슷한 기억이 있는지에 대해 서로 질문을 하면 드러난 감정의 방향을 뿌리로 향하도록 할 수 있을 것입니다. 드러난 감정 뒤에 숨어있는 뿌리의 근원을 발견 하는 것 만으로도 치유의 첫 걸음이 될 수 있습니다.
 그렇지만 공감이나 발견 하는 것 만으로 완전히 자유로워 질 수는 없습니다. 감정 뒤에 숨어있는 죄와 쓴 뿌리가 치유 되어야 합니다. 상담이나 따뜻한 위로로 잠시 위안을 줄 수 있지만, 죄와 쓴 뿌리의 근본 문제를 해결 하지는 못합니다. 오직 성령을 통한 십자가의 복음만이 죄와 쓴 뿌리를 뽑아 내고 진정한 자유와 회복을 안겨 줍니다. 이러한 감정적인 불편함을 치료 받기 원하신다면, “예수님 내가 치료 받아야 할 감정이 무엇입니까? 있다면 지금 가르쳐 주세요.” 라고 기도해 보십시오. 이렇게 기도하면서 성령님께서 그 문제를 다루어 주셔서 치료 받기를 구하시기 바랍니다. 이런 치유의 기도를 통한 영적 훈련을 계속 하다 보면 우리들의 감정 뒤에 숨어있는 쓴 뿌리로부터 자유 할 수 있을 것입니다.

조남수 목사



 私たち弱い人間は、イエス様を信じていても、感情的な問題にぶつかることがあります。特に、親密に交わる牧場の中で生じた気まずさやわだかまりは、小さな火種のように広がり、牧場の雰囲気を悪くし、些細な誤解が大きな葛藤(トラブル)へと発展することもあります。この時、表面に現れている問題だけを扱おうとしても、根本的な解決には至らず、むしろより深い傷を残してしまうことがあります。なぜなら、その感情の底には「傷」という苦い根が隠れているからです。
 多くの場合は、感情的な気まずさが生じるとき、白黒をつけようとしたり、陰口を言ったりして、かえって問題を大きくしてしまいがちです。しかし、感情は単なる不快なものではなく、内面で起きている「より深い問題」を知らせてくれる「警告灯」として捉える必要があるでしょう。もし牧場のメンバーの誰かが不快な感情を表に出したなら、最初にすべきことは、その人の話を遮らずに共感し、最後まで聴くことです。自分の感情を十分に表現できるだけでも、問題はある程度解決し、どうしてそのような感情になるのかを自分で認識できるようになります。
 感情の裏には、必ず根っこがあります。怒り、寂しさ(切なさ)、恐れは、過去の傷、罪悪感、あるいは歪んだ人間関係の中で受けた痛みが関係していることがあります。もし牧場のメンバーが繰り返し同じような感情の問題を抱えているなら、 「この感情を最初に感じたのはいつだったか」 「この感情と似たような記憶があるか」 とお互いに尋ねてみることも助けになります。そうすることで、表面に現れた感情だけでなく、その背後にある原因へ目を向けることができるでしょう。現れた感情の裏に隠された根源を発見するだけでも、癒やしの第一歩になり得ます。
 しかし、共感や発見だけで完全に自由になれるわけではありません。感情の裏に隠されている罪と苦い根が癒やされなければならないのです。カウンセリングや温かい慰めは、助けになりますが、それだけでは罪と苦い根という根本的な問題を解決することはできません。聖霊を通じた十字架の福音が、私たちを罪と苦い根から解き放ち、本当の自由と回復をもたらしてくれます。もしこのような感情的な苦しさから癒やされたいと願うなら、このように祈ってください。「イエス様、私に癒やされるべき感情は何ですか?もしあるなら、今、思い起こさせてください」 それから、聖霊様がその問題を扱い、癒やしてくださるよう求めてください。このような癒やしの祈りを通じた霊的訓練を続けていけば、私たちは感情の裏に隠された苦い根から自由になれるはずです。

趙 南洙師