キリスト教会に通うことには、多くの恵みと人生における価値があります。何よりも、教会では皆と共に歌う賛美や祈りによる礼拝を通していのちの源である神様との関係を深めることができます。忙しく過ぎていく毎日の中で、静かに心を整え、神様と向き合う時間を持つことは、疲れた心に平安と希望を与えてくれます。また、人類の歴史上、最高のベストセラーである聖書を学ぶことによって、人生を正しく歩むための知恵や、人を愛し赦すことの大切さを知ることができます。聖書の言葉は、苦しみや迷いの中にある時にも、大きな励ましと支えになります。
 さらに、教会には同じ信仰を求めている仲間がいます。互いに励まし合い、支え合う共同体の存在は、孤独を感じやすい現代社会において大きな力となります。悩みや不安を一人で抱え込まず、共に祈り合える人がいることは、何にも代えがたい慰めです。また、教会では奉仕や助け合いを大切にしているため、他者を思いやる心や感謝する心が自然に育てられます。そのような価値観は、家庭や職場、地域社会における人間関係にも良い影響を与えます。
 子どもたちにとっても、教会は人格形成のための良い環境となります。誠実さ、愛、忍耐、感謝といった大切な価値観を学びながら成長することができるからです。また、世代を超えた交流の中で、年長者から人生の知恵や思いやりを学ぶことができるのも教会の大きな魅力です。教会は、子どもから高齢者までが共に支え合い、安心して集うことのできる温かい居場所であり、家族ぐるみで信仰を育んでいくことのできる幸いな共同体でもあります。
 そして何より、教会ではイエス・キリストによる救いと永遠の希望について具体的に知ることができます。人生には困難や限界がありますが、神の愛と導きを信じることで、どのような状況の中でも希望を失わずに歩む力が与えられます。
 このようにキリスト教会は、単なる宗教施設ではなく、人々が神の愛に触れ、人生の意味と希望を見いだしていく大切な場所なのです。創り主である神様はあなたを愛し、教会でお待ちしています。

趙 南洙師



 교회에 다니는 것을 통해 많은 은혜와 인생의 가치를 누릴 수 있습니다. 무엇보다 교회에서는 함께 찬양을 부르고 기도하는 예배를 통해 생명의 근원이신 하나님과의 관계를 깊게 할 수 있습니다. 바쁘게 지나가는 일상 속에서 조용히 마음을 정돈하고 하나님과 마주하는 시간을 갖는 것은 지친 마음에 평안과 소망을 줍니다. 또한 인류 역사상 최고의 베스트셀러인 성경을 배움으로서 인생을 바르게 살아가기 위한 지혜와, 사람을 사랑하고 용서하는 것의 중요성을 깨닫게 됩니다. 성경 말씀은 고통과 방황 가운데 있을 때에도 큰 위로와 힘이 됩니다.
 또한 교회에는 같은 믿음을 추구하는 동료들이 있습니다. 서로 격려하고 돕는 공동체의 존재는 외로움을 느끼기 쉬운 현대 사회 속에서 큰 힘이 됩니다. 고민과 불안을 혼자 짊어지지 않고 함께 기도할 사람이 있다는 것은 무엇과도 바꿀 수 없는 위로입니다. 또한 교회는 섬김과 나눔을 소중히 여기기 때문에 다른 사람을 배려하는 마음과 감사하는 마음이 자연스럽게 자라나게 됩니다. 이러한 가치관은 가정과 직장, 지역사회 속 인간관계에서도 좋은 영향을 끼칩니다.
 아이들에게 있어서도 교회는 인격 형성을 위한 좋은 환경이 됩니다. 정직함과 사랑, 인내와 감사와 같은 소중한 가치들을 배우며 성장할 수 있기 때문입니다. 또한 세대를 초월한 교제를 통해 인생의 선배들로부터 삶의 지혜와 배려를 배울 수 있다는 점도 교회의 큰 매력입니다. 교회는 어린아이부터 어르신에 이르기까지, 서로를 돕고 안심하며 함께 모일 수 있는 따뜻한 안식처이자 온 가족이 함께 구원의 은혜를 누릴 수 있는 행복한 공동체이기도 합니다.
 그리고 무엇보다도 교회에서는 예수 그리스도를 통한 구원과 영원한 생명에 대해 구체적으로 알 수 있습니다. 인생에는 어려움과 한계가 있지만, 하나님의 사랑과 인도하심을 믿음으로 어떠한 상황 속에서도 소망을 잃지 않고 살아갈 수 있는 신비한 힘이 얻게 됩니다.
 이처럼 기독교회는 단순한 종교 시설이 아니라 사람들이 하나님의 사랑을 경험하고, 인생의 의미와 소망을 발견해 가는 소중한 장소입니다. 창조주 하나님께서는 당신을 사랑하시며 교회에서 기다리고 계십니다.

조남수 목사



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 最近、教会を担任している牧師たちは、説教することが簡単ではない時代を生きています。信徒たちが、人気のある他の牧師の説教を簡単に聞くことができるからです。ある信徒は、有名な牧師の説教を時間のある限りすべて聞いて恵まれていると言います。そのような方々に、毎週日曜日ごとに恵みを与える説教を準備するというのは、とても難しいことだと思います。
 礼拝も同じです。さまざまな方法で、自分の好きな教会の牧師の説教配信を簡単に視聴できるからです。そのため、日曜日にわざわざ教会まで行かなくても、YouTubeで他の教会の説教配信を見ることができるので、家で気楽に礼拝するほうが良いと考える人が多いようです。
 では、なぜ日曜日に教会へ行って説教を聞かなければならないのでしょうか。その答えは、聖霊の働きにあります。説教のことばが説教者の口を離れ、会衆の中に座っている信徒の耳に届くその過程の中で、聖霊が働かれるからです。
 私は説教を準備しながら、不思議な経験をすることがあります。説教を準備していて、「本当に素晴らしい説教準備ができた」という感覚があり、この説教を聞く信徒たちが大きな恵みを受け、信仰の決断をし、奉仕への献身もするだろうという期待が生まれることがあります。しかし実際に説教を終えてみると、献身や奉仕を決意する人はあまりおらず、反応も冷ややかなことがあります。後で自分の説教を聞き返してみても、やはり良い説教だと感じるのに、そうなのです。
 しかし逆に、説教準備が十分できなかった気持ちのまま説教壇に立つ時もありました。まるで炊きかけのご飯をお客様に出すような不安を抱えながら立つのです。ところが礼拝が終わった後、多くの信徒たちが「説教に恵まれました」と言い、また「奉仕に献身します」という人たちもたくさん現れます。後で説教を聞き返してみても、やはり未完成のような説教に感じられます。
 では、その違いはどこにあるのでしょうか。それは聖霊の働きによるものだと思います。聖霊が宣べ伝えられた説教者のことばをどのように用いられるかによって、異なる結果が生まれるのです。
 聖霊の働きを人間的に表現するなら、「雰囲気」とも言えるでしょう。この雰囲気があるからこそ、私たちは共に集まり、礼拝の場で説教を聞くことを大切にするのです。配信を通して聞く説教は、単なる知識の伝達にすぎません。説教において、聖霊の働きが、非常に重要なのです。ですから、主日礼拝をおろそかにしないようにしましょう。そして礼拝の中で、聖霊の導きにも敏感に応答し、その導きによく従う者となることを願います。

趙 南洙師