2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『互いにきちんと挨拶をする教会』牧師コーナー(604)
以前、ハーバード大学を首席で卒業した学生と指導した教授とのインタービュー記事を読んだことがあります。記者は教授に、「この学生を指導する時、一番大切な人間性の育成についてどのように教えましたか?」と質問しました。その時、教授が答えた言葉は未だに忘れられません。「私は全ての人々に挨拶をきちんとして生きるように教えただけです。」
挨拶をきちんとすることは、社会の中で一番重要な基本となるマナーです。経験がある方はご存知だと思いますが、いくら仕事や勉強ができる人であっても、その人に挨拶のマナーが欠けていると、優れた人としての印象は残りません。その反面、気さくに挨拶ができる人の場合は、腕や能力が少し足りないとしても、その短所は目立たず、良い印象が残るので長所が目立ちます。そのため、成功した人生を送りたいと願う人は必ず、挨拶をきちんとするマナーを身につけるべきです。
我が教会も、小さな子どもから年配の方まで、信徒みなが挨拶をきちんとする人になってほしいと思います。そして、ただ単に挨拶をするのではなく、せっかくの機会なので礼儀正しく挨拶をするようにしてほしいと思います。挨拶は、心に抱く感情と外見が全体像として伝わるので、挨拶をする時は、内面の親切・誠意・感謝の気持ちを正しく、明るく伝えなければなりません。
そのため第一に、教会学校の集まりなどで、礼儀正しく挨拶をする習慣が身につくように繰り返し訓練したらいいのではと思います。「こんにちは」と声を出して挨拶すると良いでしょう。大人たちは、そのように挨拶をする子どもを見かけたら必ず褒めてあげて、子供たちに挨拶をする喜びを知ってもらえるようにしましょう。
第二に、信徒のみなさんが、初めて教会にいらした方や他の信徒と会ったらまず、挨拶を交わすと良いと思います。単なる目礼ではなく、「こんにちは」と声を出して挨拶をすると良いのではないでしょうか。コロナ禍によりお互いに握手することを控えるようになりましたが、グータッチで挨拶しても良いのではないかと思います。
第三に、「挨拶をする」ことに等しく重要なのが「挨拶に応える」ことです。誰かが挨拶をしてきた時、それを無視してしまうと挨拶をした人が気まずくなるだけではなく、もしかしたら心に傷を負うかもしれません。このような場合、人間関係がぎくしゃくする問題へ発展しがちです。私は時折とても残念な気持ちになる時があります。それは、「我が教会のリーダーの中には、自分から挨拶もせず、挨拶されても応え方を知らない人がいる」といった話を耳にすることがあるからです。
挨拶ができる子どもや信徒は、世の中のどこでも認められる人になると思います。そのような教会は多くの魂を得ることになり、世の中でも神様の栄光を現しながら、堅く築き上げられていくと思います。
挨拶をきちんとすることは、社会の中で一番重要な基本となるマナーです。経験がある方はご存知だと思いますが、いくら仕事や勉強ができる人であっても、その人に挨拶のマナーが欠けていると、優れた人としての印象は残りません。その反面、気さくに挨拶ができる人の場合は、腕や能力が少し足りないとしても、その短所は目立たず、良い印象が残るので長所が目立ちます。そのため、成功した人生を送りたいと願う人は必ず、挨拶をきちんとするマナーを身につけるべきです。
我が教会も、小さな子どもから年配の方まで、信徒みなが挨拶をきちんとする人になってほしいと思います。そして、ただ単に挨拶をするのではなく、せっかくの機会なので礼儀正しく挨拶をするようにしてほしいと思います。挨拶は、心に抱く感情と外見が全体像として伝わるので、挨拶をする時は、内面の親切・誠意・感謝の気持ちを正しく、明るく伝えなければなりません。
そのため第一に、教会学校の集まりなどで、礼儀正しく挨拶をする習慣が身につくように繰り返し訓練したらいいのではと思います。「こんにちは」と声を出して挨拶すると良いでしょう。大人たちは、そのように挨拶をする子どもを見かけたら必ず褒めてあげて、子供たちに挨拶をする喜びを知ってもらえるようにしましょう。
第二に、信徒のみなさんが、初めて教会にいらした方や他の信徒と会ったらまず、挨拶を交わすと良いと思います。単なる目礼ではなく、「こんにちは」と声を出して挨拶をすると良いのではないでしょうか。コロナ禍によりお互いに握手することを控えるようになりましたが、グータッチで挨拶しても良いのではないかと思います。
第三に、「挨拶をする」ことに等しく重要なのが「挨拶に応える」ことです。誰かが挨拶をしてきた時、それを無視してしまうと挨拶をした人が気まずくなるだけではなく、もしかしたら心に傷を負うかもしれません。このような場合、人間関係がぎくしゃくする問題へ発展しがちです。私は時折とても残念な気持ちになる時があります。それは、「我が教会のリーダーの中には、自分から挨拶もせず、挨拶されても応え方を知らない人がいる」といった話を耳にすることがあるからです。
挨拶ができる子どもや信徒は、世の中のどこでも認められる人になると思います。そのような教会は多くの魂を得ることになり、世の中でも神様の栄光を現しながら、堅く築き上げられていくと思います。
趙 南洙師