2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『個人礼拝と公同礼拝』 牧師コーナー(663)
イエス・キリストを救い主として受け入れ救われたキリスト者は、神を礼拝する生活が人生の基本となります。ですが、この最も大切である礼拝に関して、多くの誤解があると思います。礼拝とは、「神が与えてくださった恵みに対して信仰により応えることであり、神の御前に自分をささげること」だと言えます。ですから礼拝の核心は、神の御前にささげる「決心」と「献身」なのです。
一般的に礼拝は、個人礼拝(personal worship)と公同礼拝(public worship)に分けることができます。個人礼拝は、一人でささげる礼拝であり、「みことばの黙想」「ディボーション」「QT(Quiet Time)」と呼ばれています。一方で、信仰の共同体と共にささげる教会(礼拝堂)での礼拝を公同礼拝と言います。
個人礼拝において最も重要なのは、自分と神との密接な関係を作り上げていくことです。そのため、何より大切な戒めをイエスさまが語られた際、驚くことに「主を信じなさい」とは言わず、「あなたの神、主を愛しなさい」(マタイ22:37)とおっしゃったのです。つまり信仰生活において何よりも重要なのは、主を愛することだという教えなのです。
今まで定期的に個人礼拝をささげて来なかった方は、今からでも、神さまとの個人的な交わりである個人礼拝の時間を持ちましょう。時間を決めて、みことばを読んで黙想し、祈りを持って神と率直に話し合い、神との関係を作り上げることに集中してください。個人礼拝は続けることが何よりも大切ですので、一日20~30分程度で続けていきましょう。
公同礼拝において最も重要なことのひとつは「神との交わり」ですが、もうひとつ重要なことは「信徒同士の交わり」です。特に公同礼拝の時に神に栄光を帰するのと同じように、信仰の兄弟姉妹たちとの交わりが大切だということです。だからこそ主は私たちに教会という共同体を与えてくださいました。そして私たちは主日礼拝を通して証し、祝福の挨拶、報告、洗礼、按手祈祷をし、信徒の交わりをもつのです。
神を愛することが最も重要だとおっしゃるイエスさまは、主を愛するのと同じように隣人への愛も重要であると教えます(マタイ22:39)。このように公同礼拝の主日礼拝を通して、私たちは神への愛と隣人への愛を実践しながら、恵みある人生を求め、生きるのです。これらの意味をさらに具体化するため、私たちは公同礼拝と個人礼拝に加え、新約聖書が教える通り、家で集まる家の教会、つまり牧場を通して神さまとの深い交わりを目指しているのです。
一般的に礼拝は、個人礼拝(personal worship)と公同礼拝(public worship)に分けることができます。個人礼拝は、一人でささげる礼拝であり、「みことばの黙想」「ディボーション」「QT(Quiet Time)」と呼ばれています。一方で、信仰の共同体と共にささげる教会(礼拝堂)での礼拝を公同礼拝と言います。
個人礼拝において最も重要なのは、自分と神との密接な関係を作り上げていくことです。そのため、何より大切な戒めをイエスさまが語られた際、驚くことに「主を信じなさい」とは言わず、「あなたの神、主を愛しなさい」(マタイ22:37)とおっしゃったのです。つまり信仰生活において何よりも重要なのは、主を愛することだという教えなのです。
今まで定期的に個人礼拝をささげて来なかった方は、今からでも、神さまとの個人的な交わりである個人礼拝の時間を持ちましょう。時間を決めて、みことばを読んで黙想し、祈りを持って神と率直に話し合い、神との関係を作り上げることに集中してください。個人礼拝は続けることが何よりも大切ですので、一日20~30分程度で続けていきましょう。
公同礼拝において最も重要なことのひとつは「神との交わり」ですが、もうひとつ重要なことは「信徒同士の交わり」です。特に公同礼拝の時に神に栄光を帰するのと同じように、信仰の兄弟姉妹たちとの交わりが大切だということです。だからこそ主は私たちに教会という共同体を与えてくださいました。そして私たちは主日礼拝を通して証し、祝福の挨拶、報告、洗礼、按手祈祷をし、信徒の交わりをもつのです。
神を愛することが最も重要だとおっしゃるイエスさまは、主を愛するのと同じように隣人への愛も重要であると教えます(マタイ22:39)。このように公同礼拝の主日礼拝を通して、私たちは神への愛と隣人への愛を実践しながら、恵みある人生を求め、生きるのです。これらの意味をさらに具体化するため、私たちは公同礼拝と個人礼拝に加え、新約聖書が教える通り、家で集まる家の教会、つまり牧場を通して神さまとの深い交わりを目指しているのです。
趙 南洙師