川崎 教会 とりなしの祈り 家の教会

2025年 年間標語 年間標語「強く、雄々しくあれ」(ヨシュア1章1~9節)


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『聖書を正しく読むこと』 牧師コーナー(745)

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 聖書は、特別な人にだけ許された書物ではありません。神学者や牧師でなければ理解できないというような難しい内容ではなく、誰が読んでも理解できる書物として記されています。
ただし、不完全な人間が神の言葉である聖書を完璧に理解することは難しいことです。ですから、神の霊である聖霊の助けをいただくことが大前提となります。聖霊の助けによって聖書が教える意味を理解し、自分の人生に適用していくのです。
 聖書を読む時、必ず聖霊の助けを求めなければならない理由は、聖書は聖霊によって動かされた人々が、神様からいただいたみことばを記録したものだからです(IIペテロ1:21)。パウロによって書かれた書簡も、神様ご自身が聖霊を通してパウロを感動させ、記録させたものです。聖書を読む読者は、パウロの見解や個人の主張として読むのではなく、神のみこころを教えてくださいと願う姿勢で読むべきです。
 聖書を読む時、聖霊の助けをいただくためには何よりまず、先入観を捨てて読まなければなりません。ある人は聖書の一箇所、または単語を引用して自分の信念を主張し、弁明したりもしますが、それは聖書を正しく読む姿勢ではありません。時にはこのような人が信仰的に見えるかもしれませんが、実は神の言葉である聖書を、自分の主張の押し通す道具としているにすぎません。
 ですから聖書を読む時に大切なのは、文脈に沿って読み、理解することです。多くの人が聖書を読み、暗唱し、毎日聖書を黙想していても、文脈に沿って読もうとせず、まず自分が恵まれたり、感動したりする単語やストーリーを探す習慣を持っています。このようにみことばを読むなら、どれほどたくさん聖書を読み、暗唱し、黙想したとしても、「聖書を見る目」は開けないでしょう。むしろ、象の足だけを触って「象は柱のようだ」と言う盲人のような黙想に陥りやすくなります。
 聖書の著者である「神様が何を伝えようとなさったのか?」という、意図を汲む目が開かれるためには、「その書簡の前後の文脈」を全体的に見て、「繰り返される強調の単語」は何か、この聖書を最初に受け取って読んだ「第一読者は誰であって、どのような状況に置かれていたのか」ということを聖霊による感動を通して発見する時、「聖書を見る目」が大きく開かれます。その時から、自分が聖書を読んで行くレベルを超え、聖書のみことばによって「自分が誰であり、どのような状態なのか」が示され、「導いてくださる歩むべき道」までも悟ることができるのです。そのようにして聖書を読む時、黙想する時間がとても楽しみとなります。みことばが蜜のように甘く、黙想が神様との楽しいひとときとなるのです。

趙 南洙師



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