川崎 教会 とりなしの祈り 家の教会

2025年 年間標語 年間標語「強く、雄々しくあれ」(ヨシュア1章1~9節)


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『十分の一で貧しい人を助けても構わないのか』 牧師コーナー(429)

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すべての人々は、自分の所有財産や金銭などを自分の考えや主張とおりに使用するのは当然だと考えています。クリスチャンの中にも神様に捧げる前なら自分のお金なので、自分の判断によってそのお金の使い道を決めれば良いと考えている方もいるようです。

 例えば、十分の一献金を必ず通う教会に捧げないといけないのか、という質問があります。むしろ生活が厳しい人を助けたり、宣教地で苦労している宣教師を助けたりすることがもっと有益であると考えるからです。

 このような質問の背景には別の疑問が隠れている可能性が高いと思われます。信徒たちが捧げた十分の一献金を宣教と救済のために正しく使用しない教会にも責任と課題があると思います。

 しかし必ず捧げないといけない十分の一は自分たちのものではありません。聖書は、神様から食べる糧と蒔く種を共に与えられたと教えています(Ⅱコリント9:10)。ですから十分の一は蒔く種であるので、自分勝手に食べるものではありません。必ず次の年のために蒔かないといけない種なのです。

それで十分の一でパンを買ってもいけないし、十分の一で自分が助けたい人に支援するのもいけないと考えるわけです。十分の一は神の前に蒔くために与えられた種なのでそのとおりにすべきです。

 そして私たちがキリストを信仰告白し、洗礼を授けられた時にも、キリストの体である教会共同体を一緒に支える者として誓約します。このような誓約は、他の教会から転入して一緒になっている信徒たちも同じ手続きを踏まえ、主の教会を支えているわけです。

 そうであるなら十分の一献金を自分なりに他のところに使用するのは間違った考えであり、信仰共同体である主の教会を一緒に支えたいという誓約を守る責任にも矛盾する行動であると思います。

 私は十分の一だけではなく、私の全生涯が神のものであると信じています。元々自分のものは何一つもありませんでしたので、私の全生涯は神の栄光のために用いられるべきと信じております。

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