2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『祈る戦士に』 牧師コーナー(48)
私の中高生の友人でミャンマーの宣教師をやっている人がいます。ミャンマー
では宗教ビザがもらえないので写真家として活動していますが、福音の働きが非
常に難しい場所だと報告を受けています。数十年前、クリスチャンたちが迫害を
受けていた時代に作家であるピリップヤンシ―がこの国を訪ねた時のことです。
現地のクリスチャンたちと交わりながら感動を受けたヤンシ―は彼らに、“何か
あなたがたのために私が出来ることはありませんか?”と聞いたそうです。それ
に対してミャンマーのクリスチャンはこう答えたそうです。“私たちのために祈
って下さい。” ヤンシ―は、“はい、もちろん祈りますが、私たちは本当に何か
助けたいのです。何か他にも必要なものはありませんか?”と聞き続けたそうで
すが、彼らは“最も必要なのは祈りの助け”だと言葉を返したそうです。それに
ついてヤンシ―はこう振り返っています。 “私はそれ以降、クリスチャンはこ
の地上の権威にアクセス出来なくても、祈りを通して偉大なる権威にアクセス出
来ることを信じるものなのだと悟った。”
私たちは教会の誰かが私たちのために祈りますと言った時にそれがどれだけ ありがたいことか考えずに過ぎ越す時が多々あります。私自身も神学校時代から 本当に祈る気がないなら誰にも“祈りますね”と軽く言わないようにしています が、祈りほど私たちを生かすものは他にありません。今日の説教箇所にあるよう に、多くの場合、主は祈り手を通して歴史を開かれます。祈りを通して人が救わ れ、成長し、用いられ、癒され、回復され、また活かされていきます。神の御心 も知らず盲目的な信仰で祈ることも見直す必要はあると思いますが、現代の多く のクリスチャンは祈りを過小評価しすぎて祈る気にもなれないことがあるので はないでしょうか。私は聖書に出てくる祈りを勉強すればするほど祈りの大切さ に気付かされていきます。以前から私は多くの国内や国外の信徒たちから祈って いるとメールで連絡を受けていますが、それがどれだけ幸いなことか今になって 思い起こされています。
今私たちの教会は新型コロナウイルスの影響で集会や牧場を持つことは出来 ませんが、代わりに増えた時間で出来ることがあります。もっと互いのために祈 ろうではありませんか。この期間私たちが皆祈りの戦士になれることを心から願 います。
チョ・ドリュー師
私たちは教会の誰かが私たちのために祈りますと言った時にそれがどれだけ ありがたいことか考えずに過ぎ越す時が多々あります。私自身も神学校時代から 本当に祈る気がないなら誰にも“祈りますね”と軽く言わないようにしています が、祈りほど私たちを生かすものは他にありません。今日の説教箇所にあるよう に、多くの場合、主は祈り手を通して歴史を開かれます。祈りを通して人が救わ れ、成長し、用いられ、癒され、回復され、また活かされていきます。神の御心 も知らず盲目的な信仰で祈ることも見直す必要はあると思いますが、現代の多く のクリスチャンは祈りを過小評価しすぎて祈る気にもなれないことがあるので はないでしょうか。私は聖書に出てくる祈りを勉強すればするほど祈りの大切さ に気付かされていきます。以前から私は多くの国内や国外の信徒たちから祈って いるとメールで連絡を受けていますが、それがどれだけ幸いなことか今になって 思い起こされています。
今私たちの教会は新型コロナウイルスの影響で集会や牧場を持つことは出来 ませんが、代わりに増えた時間で出来ることがあります。もっと互いのために祈 ろうではありませんか。この期間私たちが皆祈りの戦士になれることを心から願 います。
チョ・ドリュー師