2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『告白と再献身の機会を活用しましょう』 牧師コーナー(748)
キリスト教信仰において大切なのは、自分の信仰を告白することです。会衆の前に立って洗礼を受ける理由は、イエス・キリストを自分の人生の主として受け入れたことを公に会衆の前で告白するためです。また、礼拝の時に会衆の前で証をするのも、神を体験した恵みを分かち合うことで、生きて働かれる神を認める(告白する)場を持つためです。これは礼拝に参加した信徒たちとその恵みを分かち合うことにも繋がります。このように神を体験した恵みを礼拝に参加した人々と共に分かち合う時、その感動と恵みはさらに大きくなります。
我が教会では、神の導きに従う告白として、主日共同礼拝の終わりに礼拝を通して決心したことを前の席に出て告白(表現)することを勧めています。何を決意したか、どのような奉仕(献身)をしたいか、どのような祈祷課題を祈っているかを表現するように案内しています。
礼拝堂の前に出てくること自体が、決心と献身の行為だと言えます。これは決心を告白しつつ、神の御前に進み出ることだからです。このような行動は、神の御前だけでなく、会衆の前で公に告白することにつながります。イエス様を自分の人生の主として心に迎える告白を、洗礼を受ける告白を、隣人のために仕えますという決心の告白をするのです。または神の御前に進み出て、再決心を告白する場でもあります。
再献身とは、説教を聞いている時に「レーマ」、説教の中で神のみことばが自分に響き、そのみことばをもって祈ってもらいたいと願う。または教会の奉仕(事務の整理、教会学校の教師、賛美、牧者など)に対する神様からの召しを受け、その決心をもって祈ってもらいたいと願うことです。
礼拝に初めて参加された方でもこのような決心の心が生まれたならば、派遣の賛美の時間に静かに前の席まで出て下さって大丈夫です。もし一人で出て行くのが負担であれば、一緒に来た方と前の席まで出て下さっても大丈夫です。すでに信仰を持っておられる方でも、礼拝のたびに自分の信仰を再点検して、再決心することで、枯れることのない健康な信仰生活を続ける力となるでしょう。
人々の前で主を認める(告白する)ことは、神の国において自分が認められる祝福の機会を作ることです。逆に、人々の前で主を否定することは、自分も認められないという意味にもなるでしょう。(マタイ10:32~33)
我が教会では、神の導きに従う告白として、主日共同礼拝の終わりに礼拝を通して決心したことを前の席に出て告白(表現)することを勧めています。何を決意したか、どのような奉仕(献身)をしたいか、どのような祈祷課題を祈っているかを表現するように案内しています。
礼拝堂の前に出てくること自体が、決心と献身の行為だと言えます。これは決心を告白しつつ、神の御前に進み出ることだからです。このような行動は、神の御前だけでなく、会衆の前で公に告白することにつながります。イエス様を自分の人生の主として心に迎える告白を、洗礼を受ける告白を、隣人のために仕えますという決心の告白をするのです。または神の御前に進み出て、再決心を告白する場でもあります。
再献身とは、説教を聞いている時に「レーマ」、説教の中で神のみことばが自分に響き、そのみことばをもって祈ってもらいたいと願う。または教会の奉仕(事務の整理、教会学校の教師、賛美、牧者など)に対する神様からの召しを受け、その決心をもって祈ってもらいたいと願うことです。
礼拝に初めて参加された方でもこのような決心の心が生まれたならば、派遣の賛美の時間に静かに前の席まで出て下さって大丈夫です。もし一人で出て行くのが負担であれば、一緒に来た方と前の席まで出て下さっても大丈夫です。すでに信仰を持っておられる方でも、礼拝のたびに自分の信仰を再点検して、再決心することで、枯れることのない健康な信仰生活を続ける力となるでしょう。
人々の前で主を認める(告白する)ことは、神の国において自分が認められる祝福の機会を作ることです。逆に、人々の前で主を否定することは、自分も認められないという意味にもなるでしょう。(マタイ10:32~33)
趙 南洙師