2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『信仰は冒険を通して成長します。』牧師コーナー(612)
コロナウィルスの感染力がかなり減少し、日本社会も安定局面に入り、とても安心しています。11月4日のNHK報道によれば、日本国内感染者数は1,723,954人で、その中で死亡者が18,308人、そして、未だにコロナ重症化によって入院されている人数は109人だそうです。そして、先月(10月)、緊急事態宣言が全て解除されて以来、1ヶ月が経ったのにも関わらず、首都圏を中心とした感染者数は減りつつあることが確認されました。
しかし、未だにコロナ感染による死亡者が出ている理由は、非常に残念ではありますが、重大な基礎疾患を持つ方がワクチン接種をしなかったケースだそうです。つまり基礎疾患を持っている方だとしてもワクチン接種さえすれば、大きな心配をする必要はなさそうです。ただ、子どもでもワクチンを打たなかった場合、コロナによる死亡率はインフルエンザによる死亡率より若干高いそうです。そのため、世界各国は子どもに向けたワクチン接種を進めていくと思われます。
ワクチンの接種率が高まり、死亡率も抑えられている今、世界各国では日常に戻そうとする動きが早まっています。イギリスでは、未だに1日の感染者数が3万人を超えていますが、感染者を隔離させる以外の全ての制限はなくし、2ヶ月以上「ウィズコロナ」の体制を続けています。「感染者数」に大きな意味はないと判断して、服用するコロナ薬の販売を許可し、重症患者のケアだけをするという方針です。学者たちもまた、これ以上のコロナの変異株は発生せず、感染力は上々に弱まってインフルエンザのような流行病として残る可能性が高いと判断しています。
このように状況が変化してきていますから、まだ躊躇する気持ちがある方も日常に戻ることを願います。はっきりした健康上の理由もなく、牧場に参加することを躊躇したり、礼拝にも参加されない方がおられるようです。そして、何よりCSの子どもたちもまだ完全に戻ってきてないようです。これからは不安を振り払って、どうぞ戻って来てください。
もちろん、私たちの信仰が無知で無謀な冒険になってはいけません。私たちは神様が守ってくださることを願い、祈りますが、同時に私たち自らも予防し、気をつけるべきでしょう。しかし、度が過ぎる用心は不信仰になります。だから、医療や保険だけに頼り、信頼し過ぎると、私たちはだんだん委縮し、小さな脅威にも自分の役割を放棄する不信仰の人になります。
今までの経験を通してわかるように、私たちの信仰は冒険を通して成長することもあります。振り返ってみてください。献身もそうですし、物質的な面もそうです。私たちはいつも冒険を通して神様を体験し、信仰は成長してきました。度が過ぎた用心は不信仰からのものではないでしょうか。共に勇気を出しましょう!
しかし、未だにコロナ感染による死亡者が出ている理由は、非常に残念ではありますが、重大な基礎疾患を持つ方がワクチン接種をしなかったケースだそうです。つまり基礎疾患を持っている方だとしてもワクチン接種さえすれば、大きな心配をする必要はなさそうです。ただ、子どもでもワクチンを打たなかった場合、コロナによる死亡率はインフルエンザによる死亡率より若干高いそうです。そのため、世界各国は子どもに向けたワクチン接種を進めていくと思われます。
ワクチンの接種率が高まり、死亡率も抑えられている今、世界各国では日常に戻そうとする動きが早まっています。イギリスでは、未だに1日の感染者数が3万人を超えていますが、感染者を隔離させる以外の全ての制限はなくし、2ヶ月以上「ウィズコロナ」の体制を続けています。「感染者数」に大きな意味はないと判断して、服用するコロナ薬の販売を許可し、重症患者のケアだけをするという方針です。学者たちもまた、これ以上のコロナの変異株は発生せず、感染力は上々に弱まってインフルエンザのような流行病として残る可能性が高いと判断しています。
このように状況が変化してきていますから、まだ躊躇する気持ちがある方も日常に戻ることを願います。はっきりした健康上の理由もなく、牧場に参加することを躊躇したり、礼拝にも参加されない方がおられるようです。そして、何よりCSの子どもたちもまだ完全に戻ってきてないようです。これからは不安を振り払って、どうぞ戻って来てください。
もちろん、私たちの信仰が無知で無謀な冒険になってはいけません。私たちは神様が守ってくださることを願い、祈りますが、同時に私たち自らも予防し、気をつけるべきでしょう。しかし、度が過ぎる用心は不信仰になります。だから、医療や保険だけに頼り、信頼し過ぎると、私たちはだんだん委縮し、小さな脅威にも自分の役割を放棄する不信仰の人になります。
今までの経験を通してわかるように、私たちの信仰は冒険を通して成長することもあります。振り返ってみてください。献身もそうですし、物質的な面もそうです。私たちはいつも冒険を通して神様を体験し、信仰は成長してきました。度が過ぎた用心は不信仰からのものではないでしょうか。共に勇気を出しましょう!
趙 南洙師