2024年 年間標語 年間標語 「神体験の教会」(詩篇34篇8節)
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『2018年を備えましょう』 牧師コーナー(506)
家庭で皿洗いや掃除のようなものは、やりたくなくても誰かが必ずしなければならないように、教会にも誰かが必ずしなければならない奉仕があります。家庭のやるべきことを家族が互いに助け合いながらすると皆が幸せになるように、教会や牧場でも必ずしなければならないことを互いに助け合うと皆が幸せになるでしょう。
2か月後には2018年を迎えます。信徒の皆さんが共に備えるべきです。すでにご存じのように、我が教会の信徒たちに牧場で奉仕する責任をひとつと、共同教会で奉仕する責任の一つを担うようにと願っています。
教会はイエス様をかしらとするひとつの体であり、私と皆さんは、その体の器官であると聖書で語られています。体の器官の中で何もせずに遊んでいる器官はありません。そのような見物人の器官があるなら、むしろ体の負担になります。教会に見物人が多ければ、教会が喜びと活力を失ってしまいます。
見物人のような教会員たちの特徴の一つに冷ややかで他の人の奉仕に対して非常に批判的だと挙げられます。また自分の不満を多くの人に同調させてウワサを作り、自分の存在感を確認しようとします。教会に見物人が多くなると、奉仕する方々は時間的、肉体的にだけ辛いのではなく、人々の評価に対する恐れまで加わり、奉仕の喜びはなくなり、創造的なビジョンも共に消え去ります。
だからといって、このような見物人のような教会員を憎んだり、非難したりすると、教会はもっと早いスピードで冷たくなり、活力を失います。神様が私と皆さんに委ねてくださったことは、批判して非難することではなく、愛することです。教会の中で見物人になることは、非難に対する恐れのせいであることが多いのです。このような見物人たちに出会ったら、すぐに彼らを励まし、信仰の訓練に共に参加するように導いてあげる努力が必要です。
これまで、教会の奉仕に積極的に参加できなかった信徒たちもいらっしゃると思います。何か事情があったのだろうと思いますが、その場に留まり続けると、だんだんと見物人に転落してしまいます。そのようになる前に自分自身のために、そして教会のためにどんなに小さなことでも、来年からは教会で自分ができることを必ず一つずつ探してくださるようにとお願い致します。
2か月後には2018年を迎えます。信徒の皆さんが共に備えるべきです。すでにご存じのように、我が教会の信徒たちに牧場で奉仕する責任をひとつと、共同教会で奉仕する責任の一つを担うようにと願っています。
教会はイエス様をかしらとするひとつの体であり、私と皆さんは、その体の器官であると聖書で語られています。体の器官の中で何もせずに遊んでいる器官はありません。そのような見物人の器官があるなら、むしろ体の負担になります。教会に見物人が多ければ、教会が喜びと活力を失ってしまいます。
見物人のような教会員たちの特徴の一つに冷ややかで他の人の奉仕に対して非常に批判的だと挙げられます。また自分の不満を多くの人に同調させてウワサを作り、自分の存在感を確認しようとします。教会に見物人が多くなると、奉仕する方々は時間的、肉体的にだけ辛いのではなく、人々の評価に対する恐れまで加わり、奉仕の喜びはなくなり、創造的なビジョンも共に消え去ります。
だからといって、このような見物人のような教会員を憎んだり、非難したりすると、教会はもっと早いスピードで冷たくなり、活力を失います。神様が私と皆さんに委ねてくださったことは、批判して非難することではなく、愛することです。教会の中で見物人になることは、非難に対する恐れのせいであることが多いのです。このような見物人たちに出会ったら、すぐに彼らを励まし、信仰の訓練に共に参加するように導いてあげる努力が必要です。
これまで、教会の奉仕に積極的に参加できなかった信徒たちもいらっしゃると思います。何か事情があったのだろうと思いますが、その場に留まり続けると、だんだんと見物人に転落してしまいます。そのようになる前に自分自身のために、そして教会のためにどんなに小さなことでも、来年からは教会で自分ができることを必ず一つずつ探してくださるようにとお願い致します。